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リスク管理最前線 第35回 〜リスク管理ロードマップ(パート1)リスク・アペタイトの設定〜
  • 欧米金融機関の現場から
  • リスク管理コラム

リスク管理ロードマップ(パート1)リスク・アペタイトの設定

これまでの考察からリスク管理の必要性に疑問の余地はありませんが、個々の企業が実際にどのようにリスク管理を行うべきという点に関しては、事業内容や経営方針、利害関係者の要望等により異なるため、リスク管理方針も多様にならざるを得ません。リスク管理方針を決定するにあたっては例えば下記のような点を考慮する必要があります。

・企業のオーナー(株主)の視点からリスク管理は有益か
・リスク管理戦略の正確な目的は何か
・どの程度のリスクを保有すべきか。どのリスクを管理すべきか
・リスクヘッジの方法やルールはどうすべきか

リスク管理の方法がリスク管理方針に沿っていなければ、リスク管理は意味のないものになってしまうどころか、逆に企業が脅威に晒される原因にもなり得ます。今回から数回にわたって、リスク管理方針やそれに基づいたリスク管理手法を定めるためのロードマップをご紹介していきます。

リスク管理ロードマップ


リスク管理ロードマップは大きく次の5つのステップから成り立ちます。

1. リスク・アペタイトの設定
2. リスクのマッピングと選択
3. リスク・アペタイト運用体制の構築
4. リスク・アペタイトの実践
5. 変化に対応する定期的な見直し

各ステップについてさらに掘り下げて行きますが、重要な点はこのステップが見直しを経て何度も繰り返されるということです。今回は最初のステップであるリスク・アペタイトの設定にフォーカスします。

リスク・アペタイトの設定


リスク・アペタイトとは企業が許容するリスクの種類と量(大きさ)のことです。これは企業が債務超過に陥らずに資本により吸収し得る最大損失額であるリスク・キャパシティと対比されるものです。また企業が実際に抱える総リスク量はリスク・アペタイト内に管理されるため、通常は、

リスク・キャパシティ > リスク・アペタイト > 実際の総リスク量

という大小関係が成立します。この3つを常に把握することにより、現在のリスク量が過大あるいは不自然に過小になっていないかを知ることができます。

近年のトレンドでは取締役会で承認されるリスク・アペタイトが経営幹部への指針として使用され、年次の事業報告で投資家に開示されることもあります。リスク・アペタイトは実用的には次の二つの側面があります。

1. 企業が事業の目的を達成するために許容するリスクの大枠の声明。リスク・アペタイトの詳細項目は取締役会で承認される通常企業内部限りの文書です。ただしその概略が年次報告書に記載されることもあります。
2. トップ・レベルで設定されるリスク・アペタイトの声明と日々のリスク管理プロセスを調和させる仕組みについて。この仕組みにはリスク方針の詳細、事業ごとのリスクの声明、主要なリスクに関するリミットの枠組み等が含まれます。

またリスク・アペタイトの運用に関する事項も取締役会で承認される必要があり、報酬制度等は従業員に対するリスクに関連する多様なメッセージと同調している必要があります。

金融機関は度重なる危機と監督官庁の要請により、リスク・アペタイトの概念構築の先鋒に立っていると言えます。先端的なグローバル・バンクの年次報告書等に記載されているリスク・アペタイトの記述は参考になります。

多様な種類のリスク間のリスク・アペタイトの調和も重要なテーマです。一般的に企業は自身のリスクに対する姿勢を保守的あるいは積極的と位置付けますが、論理的にはリスクの種類やリスク管理の専門性に依存すべきです。例えば先端的なハイテク企業において、非常にハイ・リスクな戦略的な目的を掲げ、競合他社に先んじることを使命とすることがあります。このような賭けに出ることもリスク管理の一貫です。一方で同じ企業が為替リスクやサイバー・リスクに関しては非常に保守的に管理及び対策を行う方針を掲げることもあり得ます。

リスク・アペタイトは企業のアイデンティティ及び能力の体現です。したがってリスク・アペタイトの設定においては、最初に、企業の目的が何で利害関係者がその企業をどのようにみているか等を自らに問いかける必要があります。そして主要なリスクの種類を把握し、その問いに対する答えによって管理すべきリスクの種類を特定していくことが必要となります。

なお実際に企業全体のリスク・アペタイトを特定のリスクの種類や事業に紐付けて運用することは容易なことではありません。一つの種類のリスクでさえも、事業ごとにリスク量を把握し、かつ全社的に容易に統合できるようなリスク指標は存在しません。結果的にリスク・アペタイトの運用にあたっては、事業やリスクの種類に応じて、多様なリスク指標を併用しなければなりません。

【参考文献】
Foundation of Risk Management (Pearson Education)

◇MRAフェロー 伊東啓介

リスク管理最前線 第36回 〜リスク管理ロードマップ(パート2)リスクのマッピングと戦略の選択〜