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リスク管理最前線 第34回 〜リスクの合算と統合型リスク管理〜
  • 欧米金融機関の現場から
  • リスク管理コラム

リスクの合算と統合型リスク管理

前回は代表的なリスクの定量化指標について触れましたが、多種多様なリスクの種類や定量化指標が存在する中で、全体像を把握し、影響度の大きいリスクを認識し、全体的に合算されたリスクが許容度に近づいているかを把握することは容易なことではありません。今回はリスクの影響度評価において重要なリスクの合算についてご紹介します。またリスクの管理においては定量化だけでは不十分で、より広範な視点で全社的なリスク管理の質を向上させることが重要であり、統合型リスク管理(エンタープライズ・リスクマネジメント)の考え方にも簡単に触れます。

リスクの合算


市場リスクは定量化および合算に馴染みやすい種類のリスクですが、それでも話は単純ではありません。リスク管理の黎明期において、市場リスクは資産ごとの時価あるいは想定元本の合計額で管理されていましたが、これはリスクの指標としては決して十分なものではありませんでした。資産価値の変動性すなわちボラティリティが考慮されていないからです。例えば同じ時価10億円でも国債と株式を比較すると、通常株価の変動の方が債券価格のそれよりも大きく、したがってリスクも大きくなります。1970年代にデリバティブ市場が勃興するとリスク指標を改善する必要性に迫られました、デリバティブはレバレッジが効くため、時価や想定元本に比較してより大きなリスクを取り得るからです。また同じ想定元本でも取引の種類によってリスクが全く逆方向にもなり得るため、想定元本の合計額による管理は意味を成さなくなりました。

オプション取引市場が出現するとトレーダーはグリークス(Greeks)と呼ばれる独自のリスク指標でリスク管理を行うようになりました。例えばデルタ(原資産の価値上昇に対するオプション価値の変化)やベガ(原資産のボラティリティ上昇に対するオプション価値の変化)、セータ(時間の経過に伴うオプション価値の変化)等です。これらの指標は現場でのリスク管理には有用ですが、企業レベルでのリスクの合算には向いていません。異なる商品のデルタを単純に足しあげても、商品によりリスク特性(変動性等)が大きく異なるため意味を成さないからです。

そこで前回ご紹介したバリュー・アット・リスク(以下「VaR」)がリスクの合算指標として広く使われるようになりました。VaRは潜在損失額の指標なので多様なリスクを統合できるという大きなメリットがありますが、単純化された前提条件に基づいてモデル化されたものであり弱点も存在します。特に2007年から2009年の金融危機の際にはVaRの弱点が露呈し、VaRに依存し過ぎるべきでは無いという意見が一般的になりましたが、現在でもVaRは主要なリスク指標の一つであり続けています。金融機関は監督官庁の要請もあり、VaRモデルを改善し続けています。例としては株式や社債ポートフォリオにおける個社固有のリスクや各種ベーシスリスクの取り込み等が挙げられます。またVaRはあくまでも一定の信頼水準での損失額の指標であるため、さらに極端な損失発生の可能性、いわゆるテールリスクが重視されるようにもなりました。テールリスクの指標としては前回ご紹介した期待ショートフォールの他、極端なダウンサイドシナリオを含むストレステストが代表的です。

リスクと収益のバランス


VaRやストレステスト等の統合化されたリスク指標は、リスクアペタイトに基づくリスク資本が十分かを定量的に判断することに有用ですが、さらにリスクを勘案したパフォーマンスの測定も可能となり、リスクと収益のバランスの適正化にも有用です。リスク調整後資本収益率(Risk Adjusted Return on Capital)(以下「RAROC」)がその代表的な指標です。RAROCは単純化すると税引き後期待収益をリスク資本で割ったもので、一般的にはRAROCは株主資本コスト(ハードル・レートとも呼ばれる)を上回っている必要があります。RAROCは異なる事業間のパフォーマンスの比較や、投資判断、適切なプライシング等に応用されます。

統合型リスク管理(エンタープライズ・リスクマネジメント)


企業において各事業部門が独立してリスク管理を行なっているケースが一般的ですが、事業部門やリスクの種類の枠を超えた全社的な視点、すなわち統合型リスク管理のアプローチも必要だという認識が高まってきています。統合型リスク管理でもVaRやリスク資本等単一の定量化された数値に重点が置かれる傾向がありましたが、2007年から2009年の金融危機等を通じて、より多面的で広範な視野でのリスク管理の取り組みが必要であることが明らかになりました。例として市場構造の変化やビジネス動向に対する洞察が危機の察知につながり、リスク管理に資することがあります。

統合型リスク管理には以下の主要な概念があります。

・事業部門やリスクの種類を横断的に管理
・多面的なリスク分析(科学的、統計的アプローチの駆使、異なる時間軸での分析等)
・事業環境の分析(業界全体の視点含む)
・リスク・カルチャーの醸成(リスクに関するコミュニケーション、各社員の役割の明示化等)

統合型リスク管理とは、企業全体にわたる視点でリスクを管理することにより、企業レベルの戦略的判断に直結するものであり、企業価値の向上に貢献しようとするものです。また企業のリスク管理に対する姿勢を現わし、企業のアイデンティティを確立するものとなります。

【参考文献】
Foundation of Risk Management (Pearson Education)
金融リスクマネジメントバイブル(東京リスクマネジャー懇談会編)
Wikipedia

◇MRAフェロー 伊東啓介

リスク管理最前線 第33回 〜リスクの定量化指標〜
リスク管理最前線 第32回 〜リスクの認識〜
リスク管理最前線 第31回 〜リスクの類型と相互関連(パート2)〜
リスク管理最前線 第30回 〜リスクの類型と相互関連(パート1)〜
リスク管理最前線 第29回 〜バリュー・アット・リスク実践編 モンテカルロ・シミュレーション法〜
リスク管理最前線 第28回 〜バリュー・アット・リスク実践編 ヒストリカル・シミュレーション法〜
リスク管理最前線 第27回 〜バリュー・アット・リスク実践編 分散共分散法〜
リスク管理最前線 第26回 〜リスク管理態勢強化と独立したリスク管理部署の重要性〜
リスク管理最前線 第25回 〜コモディティ市場のリスク管理(パート2)〜
リスク管理最前線 第24回 〜コモディティ市場のリスク管理(パート1)〜
リスク管理最前線 第23回 〜株式市場のリスク管理(パート2)〜
リスク管理最前線 第22回 〜株式市場のリスク管理(パート1)〜
リスク管理最前線 第21回 〜英国の新型コロナウィルス対策に見るリスク管理の考え方〜
リスク管理最前線 第20回 〜外国為替(FX)のリスク管理〜
リスク管理最前線 第19回 〜債券市場のリスク管理〜
リスク管理最前線 第18回 〜金利オプション取引の活用によるリスク管理〜
リスク管理最前線 第17回 〜金利市場リスク(パート3)〜
リスク管理最前線 第16回 〜金利市場リスク(パート2)〜
リスク管理最前線 第15回 〜金利市場リスク(パート1)〜
リスク管理最前線 第14回 〜流動性リスク(パート2)〜
リスク管理最前線 第13回 〜流動性リスク(パート1)〜
リスク管理最前線 第12回 〜ソルベント・ワインドダウン(円滑な業務撤退)計画の作成〜
リスク管理最前線 第11回 〜自己資本充実度の評価(パート2)〜
リスク管理最前線 第10回 〜自己資本充実度の評価(パート1)〜
リスク管理最前線 第9回 〜ストレス・テスト(パート2)〜
リスク管理最前線 第8回 〜ストレス・テスト(パート1)〜
リスク管理最前線 第7回 〜バリュー・アット・リスク(パート2)〜
リスク管理最前線 第6回 〜バリュー・アット・リスク(パート1)〜
リスク管理最前線 第5回 〜リスク・リミットの設定と管理(パート2)〜
リスク管理最前線 第4回 〜リスク・リミットの設定と管理(パート1)〜
リスク管理最前線 第3回 〜リスク管理フレームワーク(枠組み)の構築〜
リスク管理最前線 第2回 ~まずはリスクアペタイトありき~
リスク管理最前線 第1回 ~なぜリスク管理が必要か?~