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リスク管理最前線 第21回 〜英国の新型コロナウィルス対策に見るリスク管理の考え方〜
  • 欧米金融機関の現場から
  • リスク管理コラム

英国の新型コロナウィルス対策に見るリスク管理の考え方

今回は閑話として市場リスク管理のトピックスから離れ、英国の新型コロナウィルス(Covid-19)対策をリスク管理の観点から考えてみたいと思います。私は家族が英国在住という事情で英国と日本を往来していますが、昨年春の新型コロナ感染拡大以降の状況により往来は難しくなっており、感染拡大以降では始めて最近英国を訪れました。英国は今年5月までに感染状況がかなり沈静化しましたが、ワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、6月以降、主にデルタ株によると見られる感染が急拡大し、7月は新規感染者数が1日平均4万人程度で推移しています。日本が直近ピーク時でも多くて1日約数千人ですから桁違いに多い人数です。(1日あたりの検査数も日本の20倍程度と桁違いに多いので、データ的にはどちらの状況が良いかは判断できませんが。) 深刻な状況に思えますが、英国政府は全体的には積極的な規制緩和に向けて舵を切っており、7月19日には規制をほぼ完全撤廃しています。パンデミックの知識がない私にその良し悪しを判断することはできませんが、最先端の医療研究が進んでいる英国が一見アグレッシブな規制撤廃に踏み切れたのかは大変興味深いところです。

規制撤廃に向けた象徴的なイベントに今夏のサッカー欧州選手権(以下ユーロ)がありました。フットボールファンの方はよくご存知のとおりユーロは本場のヨーロッパ諸国にとって国対抗としては、ワールドカップに次ぐ大きな大会で、フットボール発祥の地である英国でもメディアも総出で大いに盛り上がります。昨年から延期になった5年ぶりの大会は英国が開催国でした。コロナの影響により欧州各地で分散して試合を行ったものの、決勝、準決勝等主要なマッチはロンドンで行われました。英国が1966年のワールドカップ優勝以来55年ぶりにメジャー国際大会の決勝まで進み、ボルテージが最高潮に達したスタジアムには人数制限があったものの6万5千人の観衆が集まり、各地でも応援のため人々が集結しました。同様に2年ぶりに開催されたテニスのウィンブルドン選手権でも連日数万人の観客を受け入れ大会は大いに盛り上がりました。これら大きな感染拡大リスクがある大規模イベント開催を可能にした背景には1年間以上にわたる厳しいロックダウンに耐えた民衆の強い要望があったと思います。生きることはもちろん大事だが、どのように生きるかも大事という人生観がその根底にあります。しかしここで注目したいのは大規模イベント開催を可能にした対策ができていたという点です。

英国はワクチンに重症化リスクを減少させる効果があるとして、昨年12月からいち早く一般接種を開始しており、7月現在ワクチン接種率は大人(18歳以上)で1回目完了が88%、2回目完了が70%に達しています。接種が進んでもウィルスが変異していく中、感染拡大は必ずしも止められないことは最近の実績で分かってきました。しかし幸いなことに新型コロナ感染による入院者数や死者数は微増傾向ながらも接種が進む前の今年1月のピーク時と比較すると桁違いに低い状態で推移しています。死者数に関してはビーク時1日に一千人を超えていたのが、現在は1日に10〜20人のレベルです。(死因の一つとして新型コロナが認定された人の数。死因を問わず感染確認後4週間以内に死亡した人の数は1日数十人。)新型コロナ以前からの年間死者数が50〜60万人、1日あたり1,300〜1,500人ですので、新型コロナが死因に占める割合は推定で1%前後となっており、ピーク時はともかく、現状ではもはや大きくないという見方ができます。

また死者を減らすためには重症患者が入院し処置を受けられる体制が重要ですが、累計入院者数50万人、1月のピーク時は新規入院患者が1日に4千人を超えていたにもかかわらず、基本的に受け入れ体制は整っていました。英国の病院はNHSという国の医療施設が中心で統制は取りやすいのですが、研究結果から冬の感染再拡大を予測し、主な病院に病床数確保の指令が事前に行き渡っていたと言われています。現状新規入院者数は増加傾向ながらも1日に一千人以下ですからキャパシティ的には十分対応できるレベルなのでしょう。

死者数、重症者数の現状を踏まえて、英国はワクチン接種の効果で新型コロナ感染の深刻化リスクは抑えられていると判断し、完全に抑え込むのではなく、共に生きていくフェーズに入ったとして対策をとっていると考えられます。そして大規模イベントも一定の対策を行った上で実施可能と判断し、具体的には成人はワクチン接種を2回完了しているか、イベント前2日以内の陰性証明を取得した者のみ入場を許可し、人の導線を整備する等の対策を行なっています。

英国の一見アグレッシブな新型コロナ対策の試みには賛否両論ありますが、リスク管理には明確な目的が必要であるという、リスク管理の根底にある重要な点を想起させます。ここからは私の推測ですが、英国の新型コロナ対策の目的は、あくまでも死者数または重症患者数を抑えることにあると考えています。この場合「抑える」というのはゼロにするということではありません。心臓発作やがん、インフルエンザ等他の病気とバランスを取り医療体制を保てるようにしておくという程度の感覚だと思いますが、おそらく膨大な医療研究結果から必要な対策を早めに導入し、様々な数値目標を設定していると推測されます。逆の目線では目標がはっきりしているため、その目標を脅かさない範囲では人々の日常生活を取り戻そうとする動きは早くなっています。非常事態に素早く対応し決断するには、シンプルで明確な目的を最優先に設定することが肝要である点をあらためて認識させられます。

【参考データ】
https://coronavirus.data.gov.uk/(英国)
https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html#h2_1(日本)

◇MRAフェロー 伊東啓介

リスク管理最前線 第22回 〜株式市場のリスク管理(パート1)〜