リスク管理最前線 第5回 〜リスク・リミットの設定と管理(パート2)〜
- 欧米金融機関の現場から
- リスク管理コラム
リスク・リミットの設定と管理(パート2)
前回はリスク・リミットの経営における意義、設定の考え方について述べましたが、今回は続編で、マーケット・リスクを例にリスク・リミットの種類、設定プロセス、運営管理方法等実務面に焦点を当てます。
ポイント3:リスク・リミットの種類
ポイント4:リスク・リミットの設定・改訂プロセス
ポイント5:リスク・リミットの運営管理方法
ポイント6:リスク・リミット超過時の措置
ポイント3:リスク・リミットの種類
投資銀行の現場では、非常に多くのリミットが設定されます。一つのデスクだけでも数百単位のリミットが設定されることも珍しくありません。例えば商品市場部門の原油トレーディングデスクのマーケット・リスクでは、その一部だけでも次のようなものがあります。
原油価格変動リスクに関するリミット
・全市場価格同時に+/-2%、+/-10%変動時における損失額
・各先物市場(W T I、ブレント等)毎の全限月同時に価格+/-2%、+/-10%変動時における損失額
・各先物市場(W T I、ブレント等)毎の各限月毎の価格+/-2%変動時における損失額
為替リスクに関するリミット
・全通貨同時に対米ドル+/-2%、+/-10%変動時における損失額
・各通貨ペア毎の+/-2%、+/-10%変動時における損失額
(先物等の)金利リスクに関するリミット
・金利が一律+/-10bp変動時における損失額
・金利カーブの各期間バケット毎の+/-10bp変動時における損失額
先物オプションのインプライドボラティリティリスクに関するリミット
・ボラティリティが一律相対的に+/-2%、+/-10%変動時における損失額
・ボラティリティカーブの各期間バケット毎の+/-2%変動時における損失額
以上の要素全てが連関して変動する、全体的なリスクに関するリミット
・バリュー・アット・リスク(VaR) (過去3年間の市場データを元に保有期間1日の99パーセンタイル損失額)
・ストレス・シナリオ (過去に実際に発生した大きな市場ショックや将来懸念される想定シナリオが、今日発生したと仮定した場合に被る損失額)
なぜこれほど多くのリスク・リミットを設けて管理するのでしょうか。リスク・リミットにはリスク・アペタイトに沿った経営を行うための指針という役割とともに、二次的、三次的なリスクも含めて、考え得る全ての市場リスク要因に対して、エクスポージャーをモニターする手段という側面もあります。先の原油価格変動リスクの例では、全市場価格が同時並行的に変動するのが一次的なリスクだとすれば、市場間価格差(W T I対ブレント等)や先物限月間価格差は二次的なリスクで、それらについても適切なエクスポージャー管理が行われるように各種リミットが設定されます。なお個々の価格変動リスクに関して、感応度(センシティビティあるいはデルタとも呼ばれる)ではなく、+/-2%、+/-10%等複数の変動幅でエクスポージャーを観測するのが一般的ですが、これは非線型性リスクやテールリスクを把握する目的で行われています。
各リスク要因毎にリミットが設定されますが、実際には複数のリスク要因が折り重なって生じ得る損失に対する考慮が必要です。その際にVaRやストレス・シナリオは複数のリスク要因を同時にシミュレーション変動させますので、非常に有効な手段となります。また部門横断的に多様なリスク要因を同時に考慮できるため、各部門間のリスク量比較や、全社的なリスク管理にも大変有効な手段となります。
ポイント4:リスク・リミットの設定・改訂プロセス
リスク・アペタイトが年一回取締役会で承認され、部門毎の収益目標も考慮しつつ割り振る形で各事業部門のリスク・アペタイトも設定されます。各事業部門においてリスク・アペタイトに沿った経営を行うためのリスク・リミットの設定は、リスク管理部門主導で行われます。典型的なプロセスは以下のようなものです。
- リスク管理部門は、事業に損失を与え得るリスク要因を洗い出し、リスク・リミットの種類をリスト・アップする。
- リスク管理部門は、予算、リスク・アペタイト、事業方針、事業の運営実績、事業環境、市場の流動性等を考慮してリスク・リミット案を作成する。
- リスク管理部門と事業部門はリスク・リミット案を協議し、最終案を作成する。
- リスク・リミット案は事業部門のリスク・コミッティーに上程され、承認される。一部全社横断的な管理がなされるVaRやストレス・シナリオについては、経営統括部門のリスク・コミッティーに上程され、承認される。
ポイント5:リスク・リミットの運営管理方法
リスク・リミット承認後のエクスポージャー算出は通常日次で行われ、例外的に二次的、三次的なリスク要因に関するエクスポージャーは週次で行われる場合もあります。エクスポージャーの算出は通常事業部門のシステムで締め後に行われ、事業部門のシステムから、リスク管理部門のリスク・リミット管理システムに算出データがバッチ処理でフィードされます。リスク管理部門は通常翌営業日にエクスポージャーデータを確認し、データを承認します。承認後、各リスク・リミットに対するエクスポージャーを示すモニタリングレポートが作成され、リスク管理部門や事業部門の責任者を含む主要な管理メンバーに報告されます。
なおエクスポージャーデータにつき、特筆すべき事項が二点あります。一点は、エクスポージャーデータはリミットが設定されるものだけが対象ではないということです。例えば価格変動に対する損益額については、リミットは+/-2%、+/-10%のみの設定だとしても、エクスポージャーデータはより多くの変動幅で(例えば+/-1%、+/-2%、+/-5%、+/-7.5%、+/-10%、+/-15%、+/-20%、+/-25%、+/-50%等)算出されフィードされます。これはデータがVaRやストレス・シナリオの算出に用いられるためです。もう一点は、エクスポージャー算出は事業部門のシステムで行われますが、牽制と独立性の観点から、リスク管理部門は日々のデータ承認のみならず、専門部隊によるモデルやシステムの検証も適宜行います。
リスク・リミットのモニタリングは通常締め後のデータを使用し日次で行われますが、いつ市場の大きな変動が起こるか分からない以上、事業部門は日中もリミット内でのオペレーションを行う必要があります。実際に近年ではリスク管理部門が日中変動するリスク額をモニタリングするための情報システムや体制の整備が進められています。しかし、想定外の大きな取引をせざるを得ない場合やヘッジが困難な場合に、エクスポージャーがリスク・リミットを超過してしまう事態も現実には少なからず発生します。
ポイント6:リスク・リミット超過時の措置
エクスポージャーがリスク・リミット限度額を超過する場合の対処はどのようにすべきなのでしょうか。
リスク管理フレームワークの話でThree Lines of Defense(三線防御)に触れましたが、この原則に基づき、まずは第一線の事業部門が、リスク管理部門に報告するとともに、対応策を考えます。すぐポジションを削減またはリスク・ヘッジするのか、一定期間保有してからリスク低減をする方策をとるべきか、事業環境の変化で恒久的なリスク・リミットの見直しをすべきなのか、最善の方法を考え、リスク管理部門と協議します。流動性が高くリスク削減の取引コストが高くない場合は、基本的に直ちにリスク低減の方策が取られるでしょう。しかし取引コストが高い場合や、リスク・リターンを考慮した上で、一時的あるいは恒久的にリスク・リミットを増額することが合理的と考えられる場合は判断が必要です。
リスク・リミットはその重要度に応じて変更に必要な承認レベルが定められています。承認レベルの段階は例えば事業部門のリスク管理担当ヘッド決裁、リスク管理統括責任者決裁、取締役会決裁等です。事業部門とリスク管理部門間の協議で、一時的にリスク・リミットを増額することが合意された場合、承認者に上程され、対応策が決定されます。リスク・リミット・モニタリングレポートにはリスク額、恒久的なリミット、一時的なリミット変更額及び変更期間、変更理由等が記載され、合意された対応策に従って処置がなされる事がフォローアップされます。なお最上位の取締役会決裁のリミットを急遽変更することが必要な事態は実際にはほぼ生じませんが、予防線として、限度額の80%程度で承認レベルが一段階低い運用リミットが設定され、さらに一時的な変更については、リスク管理統括責任者に権限委譲がなされている場合もあります。
恒久的なリスク・リミットの変更は、通常先述の年一回の改訂プロセスで行われますが、期中の変更が必要な場合は承認者に対応するレベルのリスク・コミッティーに上程され、変更される場合もあります。いずれの場合もまずは一時的なリスク・リミット変更の処置が取られ、一時的変更の有効期間内に必要な手続きがとられます。なお一時的変更の有効期間はリミットの種類やレベル毎に最長設定可能期間が定められており、その範囲内で適切な期間が設定されます。適切な期間とはリスク低減に最低限必要と考えられる期間や再度対応策を見直しすべき時点を基準に決定されます。
次回は複数のリスク要因を同時に考慮する事が可能で、部門横断的に使用できる、リスク管理の強力な手法の一つであるバリュー・アット・リスク (VaR) について掘り下げたいと思います。
◇MRAフェロー 伊東啓介