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リスク管理最前線 第2回 ~まずはリスクアペタイトありき~
  • 欧米金融機関の現場から
  • リスク管理コラム

前回リスク管理の第一歩は経営陣が取るべきリスクを決める事と申し上げました。投資銀行業界ではこの取るべきリスクの事、(リスク許容度やリスク選好度とも呼ばれる)を「リスクアペタイト」と呼んでいます。「アペタイト」とは英語のappetiteで、直訳すると「食欲、欲望」といった意味合いです。ここで興味深いのは、ともすれば極力避けるべきものと考えられがちなリスクに対して、前向きに渇望するニュアンスの「アペタイト」と言う用語を使っている点です。このことからもビジネスの前提として、リスクを取らなければ収益機会も無いというリスク・リターンの発想が基本になっている事がわかります。

私が所属していた投資銀行においては、「リスク・フレームワーク」と「リスク・アペタイト・ステートメント」が毎年取締役会での承認事項となっていました。「リスク・フレームワーク」とはリスク管理態勢の枠組みを示すもので、主要な7種類のリスクを規定し、リスク管理の理念や方針を組織体制、各自の役割を中心に定めています。ちなみに7種類のリスクとは、最重要なものとして「戦略リスク」を掲げ、その他「信用リスク」、「市場リスク」、「流動性(資金繰り)リスク」、「オペレーショナル・リスク(事務ミスの他、背任行為や不適切な行動、モデル、サイバーもこの範疇)」、「コンプライアンス・リスク(法令違反)」、「レピュテーショナル(風評)・リスク」となっていました。リスク管理のフレームワークについては次回以降に詳述します。

「リスク・アペタイト・ステートメント」とは経営戦略に基づく目標や事業計画を達成するために適切と考えられる許容リスクの種類と総量を定めるものと定義されています。今回はこのリスク・アペタイトの策定に焦点を当てていきます。

ポイント1:リスクアペタイトは経営戦略の具現化
ポイント2:リスクの洗い出し〜全ての「不確実性」
ポイント3:トップ・ダウン・アプローチによるリスクアペタイトの策定
ポイント4:リスク種類の選好
ポイント5:リスク許容量の決定
ポイント6:リスクアペタイトの定期的な見直し
ポイント7:リスク許容量(総量)の割り振り
ポイント8:リスクの定量化

ポイント1:リスクアペタイトは経営戦略の具現化


リスクアペタイトは経営戦略や事業計画と密接に関連しています。企業経営には経営理念、事業目的に結びついた具体的な指針が必要であり、どの市場でどのようなリスクをどの程度取るのか(避けるのか)ということも、重要な指針の一つです。ここがはっきりしていないと、刻一刻と変化していく情勢に慌てふためくばかりとなってしまいます。もちろん情勢の変化に応じてリスクアペタイトを見直すことは必要ですが、拠り所となる基本的な方針が明確化した上で共有される事により、進むべき方向性が安定します。リスクアペタイトの策定は、現場には現場の状況を経営層に明らかにする責務がありますが、最終的には企業経営戦略に責任のある経営陣の役割です。

ポイント2:リスクの洗い出し〜全ての「不確実性」


リスクアペタイトの策定にあたり、まずリスクとは不確実性の事であるという原点に立ち戻る必要があります。不確実
なもの、予期せぬ出来事はすべてリスクです。単純化した例として、ある製造業企業がAという製品を作るためにBという原材料を仕入れて生産し販売を行うという場合、リスクは製品Aや原材料Bの市場情勢のみならず、為替変動、販売先や仕入先の債務不履行や撤退、生産ラインでのトラブル、製品が陳腐化する市場環境の変化、自然災害、サイバー攻撃による操業停止、法令等の変更、不祥事による企業の評判の悪化等多岐にわたります。リスクアペタイトを策定する前提として、まずは企業が晒されているリスクを洗い出すというステップが必要です。

余談ですが、「不確実性」の世界の住人である我々にとっては、リスクが顕在化する局面や危機が訪れる局面というのは、どんなにリスク管理に注力しても、必然的に直面する事になります。しかし必然だからといってリスク管理は必要ないという事ではありません。あらゆる可能性を考えた上で対処方針を定めておけば、未然に防げることも多いですし、具現化しても致命傷は負う可能性は低減されます。

ポイント3:トップ・ダウン・アプローチによるリスクアペタイトの策定


ボトム・アップ・アプローチでのリスク種類の洗い出しに触れましたが、リスクアペタイトの策定は経営戦略に沿ったリスクの種類と総量を決めるものですから、トップ・ダウン・アプローチが採用されます。リスクアペタイトの策定にあたって、現状晒されているリスクやその度合いについては当然参考すべき情報とはなりますが、積み上げ方式で決めるべきものではありません。むしろ現状をいったん離れて、経営目標は何か、そして持てる経営資源の制限を熟慮して取り組むべきものです。

リスクアペタイトの策定とは、端的に言うと「どの種類のリスクをどの量許容するか」ということを決める作業になります。

ポイント4:リスク種類の選好


まずはリスク種類の選好(どの種類のリスクを許容するか)について見ていきます。
リスクの洗い出しを実際に行なってみると、まずは「極力避けたい」という種類のリスクはかなり多いと思います。例えば法令違反リスクはそういったものの一つです。そのために法律(法務部)や法令遵守(コンプライアンス)の態勢を作り、モニタリングや社員教育にも力を入れるというような対策が取られます。事務ミス対策やセキュリティ対策も同様の観点から行われています。しかし対策にはコストがかかり、どの程度資源を投入しどのような態勢を構築するかは、やはり経営判断が必要です。投資銀行業界では、やはり信用失墜が大ダメージであり、監督当局の厳しい要求水準もあったので、膨大な経営資源を「極力避けたい」リスクの対策に投下しています。

一方である程度「許容する」という種類のリスクも必ず存在します。投資銀行の例では、資金の出し手としての役割から、ある程度借り手の債務不履行リスクにさらされる事は不可避です。また多様な金融商品の流動性を提供する役割があり、そのためにはある程度在庫となるポジションを持つ必要もあり、その在庫の価格リスクもまた不可避です。先ほどの製造業企業の事例でも、取引先の債務不履行リスク、また製品Aや原材料Bの価格リスクはビジネスを継続する上で不可避です。不可避という言葉を使いましたが、視点を変えるとある種のリスクを許容する事により、初めて収益機会が得られるという事になります。

このように整理していくと、企業経営に影響を及ぼす様々なリスクの種類や影響度合いが見えてきます。そして「極力避けるべきリスク」と「許容するリスク」の切り分けが可能となります。また「許容するリスク」の中でも濃淡ができ、積極的に受け入れるものや、コントロールして一定範囲内に収めたいというものの切り分けが可能となります。

ポイント5:リスク許容量の決定


次にリスク許容量(どの量許容するのか)について見ていきます。
リスク許容量を考える前段として、リスク・キャパシティーを考慮する必要があります。リスク・キャパシティーとは最大限とることが可能なリスク量の事で、経営資源の制約に拠るものです。具体的にはリスク顕在化による損失が具現化しても、倒産に陥らず、事業継続可能な損失額が一つの目安で、自己資本の範囲内となります。リスクアペタイトで定めるリスク許容量も同様にリスク顕在化で発生し得る損失額ですが、健全な事業経営を行うためには、当然このリスク・キャパシティより小さくなくてはいけません。その範囲内でリスク許容量をどのレベルに設定するかは、重要な経営判断となります。

リスク許容量の決定にあたっては、経営理念や戦略、リスクに対する方針、財政状態等の内部要因の他に、世界情勢や市場環境、規制環境等の外部要因も考慮し総合判断する必要があります。多くの金融機関は、監督機関が定める自己資本比率規制の対象となります。これは自己資本見合いで保有できるリスク相当額の上限を決める規制ですので、対象となる場合、リスク許容量はこの規制を満たす範囲内に設定する必要があります。

ポイント6:リスクアペタイトの定期的な見直し


リスクアペタイトを策定し、それに基づく経営を行なっていくわけですが、リスクアペタイトは定期的な見直しが必要です。前述の内部要因や外部要因は変化していくものですので、リスクアペタイトもそれに対応していかなくてはなりません。私の経験上、見直しの頻度は最低年に一度取締役会レベルで行われていましたが、月次の取締役会でもリスク報告が行われ、必要があればリスクアペタイトを変更できるという態勢でした。しかし実際にはリスクアペタイトに基づいた運用を行うために定められた下位規定のリスクリミット等があり、まずはリスクリミットの変更により対処するケースがほとんどでした。

ポイント7:リスク許容量(総量)の割り振り


リスクアペタイトの策定に関して一通りプロセスを見てきましたが、ここでリスクアペタイトに沿った経営を実践
するために重要な事について、二点ほど簡単に触れておきたいと思います。一つはリスク許容量(総量)の割り振りについてです。総量としてのリスク許容量が示されるだけでは、企業全体のリスク量の管理は困難です。前述の通り多岐に渡るリスクに直面している事業の経営管理を行うためには、許容量を細分化してリスク種類単位に割り振る事が有効です。場合によっては事業部門単位、管轄地域単位に割り振る事も有効でしょう。リスク許容量(総量)の割り振りについては次回以降に詳述します。

ポイント8:リスクの定量化


もう一点重要なポイントはリスクの定量化についてです。
リスクには定性的なものと、定量的なものとがあります。定性的なリスクは態勢の構築、方針の策定、対策の発動といったアクションを考えていき、それでも顕在化することによる損失をリスク許容量の中で吸収する必要がありますが、定量可能なリスクの場合、さらに一歩進めて許容量を目標値として管理する事が可能です。投資銀行の例では貸し出し先への与信額、金融商品在庫額等は定量化可能なリスクと言えます。しかしリスクアペタイトに沿ったリスク管理のためのリスク定量化としては、与信額や在庫額等の情報だけでは十分ではありません。

リスクアペタイトの策定とは取るべきリスク量を決める事で、その背景として会社の経営方針とともに、資本力も重要な要素でした。それは企業経営が有限の経営資源を振り分ける行為であり、「リスク許容量(リスク見合い自己資本)の内●●円はXXのリスクに備えるものとして割り当てる」というアプローチがとられるからです。

ここでリスク許容量に、与信額や在庫額を紐づける必要が出てきます。「●●円というリスク見合いの自己資本額に対して、許容できる与信限度額や在庫保有限度額はどの程度なのか」という問題です。この点に関しましてはこのシリーズのメイントピックの一つでもありますので、次回以降詳細に取り上げていきますが、ここでは「リスクの定量化がリスクアペタイトに基づいた経営管理に欠かせない重要なもの」であるという事を申し上げるに留めておきます。

◇MRAフェロー 伊東啓介

リスク管理最前線 第3回 〜リスク管理フレームワーク(枠組み)の構築〜