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知っておきたい金融商品知識 第54回 ~東京証券取引所が提唱したPBR1倍超え対応について(8)~
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東京証券取引所が提唱したPBR1倍超え対応について(8)

東京証券取引所は昨年3⽉、プライム市場およびスタンダード市場の全上場会社約3,300社を対象に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請した。とくに、PBR(株価純資産倍率)が1倍を割り込む企業への改善要請である。その後、多くの上場会社において取組みが進められ、わが国の株価上昇のきっかけになったと評価されている。
さらにその約1年後に東証は「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」(以下、東証2024.2と記す)を公表した(なお、8月30日には、「「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に関する今後の施策について」と題して、上場各社の対応状況の調査報告を行っている)。その背景として東証は、「中⻑期の企業価値向上を重視する投資者(アクティブファンドなど)を中⼼として、計90社超(国内約3割、海外約7割)の投資者と面談を実施」した結果、「国内外の株主・投資者からは、各企業の取組みの更なる進展を期待する声が多く寄せられて」いるからだとしている。アクティブファンドなどの意見を重視するのは如何なものかとは思うが、確かに、東証2024.2には首肯できる点が多くある。
各企業には解決や目標実現に向けた具体的な取組みが求められる。東証2024.2では、これら具体的な取組みについて取締役会で「検討」を⾏ない、投資家目線である「投資者にわかりやすく開示」することを求めているが、実際に取組むことが重要であろう。今回も前回に続けて、東証2024.2で検討・開示が期待される事項そのものについて検討したい(項番は前回に続けます)。
なお、参考文献については本文末に掲示し、本文中は略記(氏名(発表年))する。

6.投資者の視点を踏まえた対応が求められる経営

(2)投資家から期待される取組み

東証2024.2では「投資者が企業に対して期待する取組みの検討や開示」として、以下の4点を重視している。
a) 経営資源の適切な配分を意識した抜本的な取組み
b)資本コストを低減させるという意識
c)中⻑期的な企業価値向上のインセンティブとなる役員報酬制度の設計
d)中⻑期的に目指す姿と紐づけた説明

(b)資本コストを低減させるという意識を持つこと
企業価値を高めるためには、「資本コスト」を上回る「資本収益性」を達成することが最重要事項になる。「資本収益性」を高めるためには、前回見たように、事業ポートフォリオの⾒直しやバランスシート改⾰による資産圧縮でキャッシュを創出し、成⻑投資に資⾦を注入すること、持続的な成⻑の実現に向けた知財・無形資産創出につながる研究開発や人的資本に投資することがあげられる。
そして、東証2024.2では、「資本収益性」と「資本コスト」との差を拡大させる、すなわち「資本コスト」の方も低減させる努力が期待されているという。なお、この差とは、本連載で何度も取り上げたようにROICとWACCの差であり、EVA(Economic Value Added︓経済的付加価値)スプレッドとも呼ばれる。
その方法として、東証2024.2では、開示情報の拡充や効果的な投資家との対話、コーポレート・ガバナンスの強化等をあげている。情報開示が不十分な場合には経営の不透明性が投資家の不安要素となるため、株主資本コストの上昇要因になるといい、したがって、情報の非対称性を解消することや、投資者の経営に対する信頼や収益の安定性・持続性に対する確信度を⾼める必要があるとしている。
具体的には、イ)脱炭素事業・成⻑事業へのシフト、とくに、レジリエンスの⾼い事業ポートフォリオの構築やサステナビリティ経営の⾼度化、ロ)業績ボラティリティの低減、ハ)投資家との対話等をあげている。ただ、イ)の方策は、どちらかというと将来の「資本収益性」を高める投資に関する事項のように思われる。
ロ)については、安定収益源の拡大により業績ボラティリティを低減させるという金融業者の取組み目標を紹介している。しかし、本連載で何度も取り上げたように(例えば第37~38回)、筆者としてはリスクヘッジを行うことによりWACCを引き下げることができると考えている。

(c)中⻑期的な企業価値向上のインセンティブとなる役員報酬制度の設計
東証2024.2では、「中⻑期的な企業価値向上の実現に向けては、経営者自身が企業価値向上を自分事として捉えることが重要であり、経営陣の報酬が持続的な成⻑に向けた健全なインセンティブとして機能するよう報酬設計を⾏うことが期待」されるとしている。また、その方法として「役員に限らず、マネジメント層や⼀般社員に対しても、自社株式やストックオプションの付与など企業価値向上に向けたインセンティブを与えること」が有効だとしている。
確かに株式交付やストックオプションなどは、役職員と会社の目指す方向を合わせるインセンティブを与えることから株価を上げる手っ取り早い方法として、よく見られ、わが国でも盛んである。しかし、経営者の中には、自分の残りの任期だけでも株価を上げればよいと考えて、将来の成長機会のためではなく短期的な利益目的のハイリスク投資を行ったり、自社株買いを進めてしまうリスクもあろう。この手法は、株式コールオプションの買いポジションと同じものであり、株価の上昇メリットを得るものの下落リスクは負わない仕組みだからだ。
本連載第32回で示したように、経営者の報酬設計には、短期的な収益を目指してリスク選好的になる単純な株式交付やストックオプションではなく、リスクヘッジを促すような仕組みを内包することが必要である。

(参考文献)
東京証券取引所「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」2024.2.1
https://www.jpx.co.jp/news/1020/20240201-01.html

◇客員フェロー 福島良治

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