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知っておきたい金融商品知識 第51回 ~東京証券取引所が提唱したPBR1倍超え対応について(5)-本年2月の東証資料を読み解く~
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東京証券取引所が提唱したPBR1倍超え対応について(5)
-本年2月の東証資料を読み解く

東京証券取引所は昨年3⽉、プライム市場およびスタンダード市場の全上場会社約3,300社を対象に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請した。とくに、PBR(株価純資産倍率)が1倍を割り込む企業への改善要請である。その後、多くの上場会社において取組みが進められ、わが国の株価上昇のきっかけになったと評価されている。
前回までは、PBR向上を検討するための基礎となるファイナンス理論やリスク管理について議論してきた。まとめると、PBRを向上させるためにはROEまたはPERを向上させること、しかし財務レバレッジの操作(バランスシートで純資産比率を小さくするための自社株買いなど)によりROEを上げることは純資産を減らし、将来の投資チャンスを失くしかねないこと、PER向上は「株価を上げる」というトートロジー的な対応であること、ROICやEVAを向上させることが本質的に重要であり、そのためには将来キャッシュフローを安定化させるリスクヘッジが有効であること、また信用格付けの維持向上のためにもリスク管理や自己資本(純資産)の確保が必要であるということ、である。
今回は、今年2月に東証が公表した「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」に基づいて、再度、総論的に「資本コストや株価を意識する経営」を考察してみたい(項番は前回に続けます)。
なお、参考文献については本文末に掲示し、本文中は略記(氏名(発表年))する。

6.投資者の視点を踏まえた対応が求められる経営

東証の要請「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」は大きな波紋を起こしたが、さらにその約1年後に東証は「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」(以下、東証2024.2と記す)を公表した。その背景として東証は、「中⻑期の企業価値向上を重視する投資者(アクティブファンドなど)を中⼼として、計90社超(国内約3割、海外約7割)の投資者と面談を実施」した結果、「国内外の株主・投資者からは、各企業の取組みの更なる進展を期待する声が多く寄せられて」いるからだとしている。東証2024.2には、首肯できる点が多くあり、以下ではその内容について検討していきたい。

(1)東証による現状分析

東証の現状分析では、以下の3点が期待されていると述べている。
① 投資者の視点から資本コストを捉えること
② 資本収益性や市場評価に関して投資者の視点を踏まえて取締役会で多面的に分析・評価すること
③ 中⻑期的な企業価値向上に向けた「経営資源の適切な配分」、すなわち自社のバランスシートが効率的な状態となっているかを点検すること

(a)資本コストを巡る議論
 資本コスト(以下では、株主資本コストを単に資本コストという)は、一般的にはCAPM(資本資産価格モデル)で求める場合が多い。

   

上記式の「無リスク利子率」は国債等の利子率。β(ベータ)は、対象企業(i社)の株価の市場全体の動きに対する感応度のことで、これが1ならば、i社の株価が株式市場全体と同じ動きをしていることになり、1より小さければ、市場全体の動きに比べて小さく動くといえる。一次数式的には、市場全体の収益率に対するi社株価収益率の「傾き」ともいえる(詳細は本連載第39回参照)。
ROEが資本コストを上回ることが企業価値を高めるとわが国では一般的に言われる。また、資本コストは、WACCの構成要素となっていて、経営的にはROICがWACCを上回ることが望まれる(第49回参照)。
東証は、CAPMについて「その算出値はあくまでも⼀つの推計値」であり、「それだけでよいということではなく、資本コストの⽔準について「株主・投資者と認識が揃っているか」ということがポイントとなります」と指摘している。
また、ベータ値について複数の算出結果を参照したり業界平均を使ったりすることで当該企業の資本コストの値が大きくブレるし、企業が考えるWACCが投資家の想定より大幅に低い場合があるとの意見も強いようだ(日経新聞2023年12月12日)。
ベータ値の計算は、一般的には過去のリターンデータを用いて回帰分析によって求めることができる。しかし、どの期間で回帰分析を行うか、リターンを日次、週次、月次のどれを使うかなどの決まりはない。単純な回帰分析から求めたヒストリカルベータ値は推定誤差が大きいし、時系列的にも安定していないことが多い。そのため、計算期間の選択として月次、週次、日次の平均をとったり、業種ベータや類似業界の複数の銘柄の平均値を用いるなどの手法が用いられることも多い。対象企業と類似会社の規模感や資本構成、売上構成、対象企業のビジネスサイクルなどを踏まえることの検討も必要だろう。
東証では、投資者との目線がズレる要因として、資本コストには唯⼀の正解があり画⼀的な算出式にこだわること、 株主・投資者からのズレているという指摘を恐れ対外的な開示を控えることを例示して、精緻な値を算出するというよりも株主・投資者との認識を揃えることが重要だと指摘している。そして、その事例として、決算説明会でアナリスト・機関投資家に資本コストのアンケートを実施して求めた数値を提示し、それとROEを比較したり、CAPMによる資本コストとPERの逆数を利用した資本コストとを時系列的に比較した企業の説明資料をあげている。ちなみに、PERは[株価÷1株当たり純利益]、すなわち[株主資本(時価)÷今期予想当期純利益]だから、この逆数は株式市場が示唆する時価ベースのROE(今期予想利益率。会社側から見た「資本コスト」。通常のROEは簿価ベース)である。
投資家への説得力ある説明が求められるということだ。
(次回に続く)

(参考文献)
東京証券取引所「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」2024.2.1
https://www.jpx.co.jp/news/1020/20240201-01.html

◇客員フェロー 福島良治

知っておきたい金融商品知識 第52回 ~東京証券取引所が提唱したPBR1倍超え対応について(6)~