リスク管理最前線 第50回 〜市場リスク指標の推定(パート3)ヒストリカル・シミュレーション法の改善手法〜
- 欧米金融機関の現場から
- リスク管理コラム
市場リスク指標の推定(パート3)ヒストリカル・シミュレーション法の改善手法
市場リスク指標の推定に関して、今回はノンパラメトリック手法の中でも代表的なヒストリカル・シミュレーション法(以下「HS法」)による市場リスク指標の推定についてさらに詳しく見ていきます。HS法は損益等の分布等に関する仮定を置くことなくリスク指標を推定する方法で、金融機関の実務においても広く採用されています。この手法では実際の観測データを利用して将来の損失分布を予想しますので、過去データが将来の予測に有用と考えられる場合において有効です。この手法の概要については過去のコラムでも取り上げていますので、今回はHS法のテクニカルな改善手法をいくつかご紹介します。金融機関においても実務的にこれらの改善方法を日常のリスク指標推定に適用しているケースはさほど多くないと思われますが、通常のHS法によるリスク指標推定を検証あるいは補完する目的で参考にすることはあります。
ブートストラップ法によるヒストリカル・シミュレーション
通常のHS法においては、対象としたヒストリカルデータ期間の損益データサンプルがN個ある場合、N個のデータを全て並べてリスク指標を推定しますが、ブートストラップ法においては、N個のデータサンプルからランダムにデータを抽出するプロセスをN回行いデータサンプルを作成し、バリュー・アット・リスク(以下「VaR」)や期待ショートフォール(以下「ES」)等のリスク指標を推定します。このデータサンプル作成の際にデータが再抽出可能であるという点が肝要です。元のデータサンプルの中から複数回抽出されるデータもあれば、一度も抽出されないデータもあります。そしてこの作業を多数繰り返し、リスク指標の推定を行います。そしてブートストラップ法により推定した多数のリスク指標サンプルの平均値がリスク指標の推定値になります。この手法によるリスク指標の推定値は、通常のHS法による推定値と比較して精度が上がることが知られています。さらに精度はブートストラップの試行回数が多いほど高まります。この傾向はVaRよりもテール・リスクであるESの推定において、より顕著に現れます。
ヒストリカル・シミュレーション法でのデータへの重み付け
通常のHS法においては、ヒストリカルデータの対象期間内のデータは全て同じウェイトで扱われるため、対象期間内のデータは比較的直近の新しいデータも古いデータも同じウェイトとなり、対象期間外になると全く使用されなくなります。
この均等なウェイトは必ずしも最適ではありません。市場においてしばしば観察される現象として、変動が大きくなるとしばらく変動の大きい時期が持続し、変動が小さくなるとしばらく変動の小さい時期が持続するということがあります。例えば市場にストレスイベントが発生して株式価格が急落したような場合に、通常はその後しばらく市場のリスクは高まると考えられますが、通常のHS法においては、往々にしてVaRはイベント直後においてはあまり変わらず、その後実際に市場の大きな下落が数日続いた場合に遅れて上昇し始めます。なお余談ですが、ESはVaRと比較するとリスクの上昇が早く現れる傾向があり、VaRだけではなくES等のリスク指標もニタリングすることに意義があると言われる所以です。
また別の例で、天然ガス価格は冬季の方が夏季よりボラティリティが高まる(変動が大きくなる)傾向がありますが、通常のHS法ではリスクの推定にあたり、冬季のデータも夏季のデータも同じウェイトで扱われるため、往々にして冬季にはリスクを過小評価し、夏季にはリスクを過大評価することになります。
これらの問題点に対処するため、ヒストリカルデータに異なる重み付けを行うことにより改善が図り得る場合があり、以下に2つの方法をご紹介します。
時間による重み付け
これはHS法において、新しいデータのウェイトを高め、古いデータのウェイトを低くする方法で、近い将来のリスクを予測するのに新しいデータの方が古いデータより有用である考えられる場合に有効です。
ウェイトを決定する関数の例として下記が知られています。データが1日古くなるにつれλの割合でウェイトが小さくなり、時間とともに指数関数的にウェイトが減衰します。λの値は0から1の間で任意ですが、1に近いほど減衰速度は遅くなります。
(50.1)
ただし、
w(i):i日前のデータのウェイト
λ:ウェイトの減衰速度。0から1の間。
n:ヒストリカルデータのサンプル数
(Boudoukh, Richardson and Whitelaw [1998]より)
ボラティリティによる重み付け
これはHS法において、過去の損益データサンプルを市場のボラティリティ水準の変化に応じて調整する方法で、リスクの大きさは現在の市場ボラティリティ水準に連動すると考えられる場合に有効です。
調整方法として下記が知られています。市場ボラティリティの推定においては、過去の時系列データから予測するGARCHモデル等が使用されます。
(50.2)
ただし、
r*t,i:調整後の資産iのt時点におけるリターン
rt,i:資産iのt時点で観測されたリターン
σT,i:直近の資産iの推定ボラティリティ
σt,i:t時点における資産iの推定ボラティリティ
(Hull and White [1998b]より)
【参考文献】
Market Risk Management and Measurement (Pearson Education)
Boudoukh, Richardson, and Whitelaw (1998): The Best of Both Worlds: A Hybrid Approach to Calculating Value at Risk
Hull and White (1998): Incorporating Volatility Updating into the Historical Simulation Method for Value at Risk
◇MRAフェロー 伊東啓介
リスク管理最前線 第51回 〜市場リスク指標の推定(パート4)ノンパラメトリック手法の利点と欠点〜