リスク管理最前線 第46回 〜統合型リスクマネジメント (ERM) (パート1)〜
- 欧米金融機関の現場から
- リスク管理コラム
統合型リスクマネジメント (ERM) (パート1)
過去にリスク管理は主としてビジネス部門毎およびリスクの種類毎に整備されてきた経緯から、これまでビジネス部門毎、リスクの種類毎のリスク管理を中心に見てきましたが、近年これらを全社的に統合した統合型リスクマネジメント(Enterprise Risk Management、以下略称「ERM」)の重要性が注目されるようになってきました。
ERMの意義と課題
ERMの意義は直感的に理解しやすいものです。全社的に重要なリスクを把握するためには、全社的なポートフォリオ管理の視点が必要です。あるビジネス部門の主要なリスクが、別のビジネス部門のリスクと相殺し、全社的には重要でなくなる場合や、その一方で、あるビジネス部門で重要視されていないリスクが、全社レベルでは蓄積して重要なリスクとなる場合もあります。全社横断的に統一された手法で、合算されたリスクを把握することにより、企業レベルで重要なリスク、集中的なリスクが明らかになり、効果的な対策を施す事で、企業が健全性を保ちつつ、存続する可能性を高めることが可能となります。また全社的なリスク・アペタイトに沿った経営のためには、当然、全社レベルで合算されたリスクの情報が必要となります。
しかしながらERMの整備が主要な金融機関においてもまだ発展途上なのは、冒頭に述べたリスク管理の発展の経緯の他、その困難さにも理由があります。根本的には、技術的な面で手法やデータ、システム等の課題がありますが、ビジネス部門とリスク管理部門の連携、リスク・カルチャー(リスク管理に関する企業文化)の全社的な浸透にも多くの企業で課題があると認識されています。なお金融機関においては監督当局の要求の高度化に対応することが喫緊の課題となっています。
ERMの構築
理想的なERMは、業種や企業規模に応じて整備されるべきものであり、これをすれば良いという定型的なものはありませんが、構築にあたっては以下の点を考慮すべきです。またこれらの要素は互いに独立なものではなく、すべてがかけ合わさってはじめて効果が発揮される事にも留意すべきです。
① 目的:企業の戦略的なゴールの実現と、それと関連した全社レベルのリスク・アペタイトに沿った経営のためのもの。全社レベルでのリミット・フレームワークやインセンティブのスキームの設定等がその重要な要素となる。
② 組織体制:取締役会、全社的なリスク・コミッティーや他のリスク・コミッティー、リスク管理最高責任者 (CRO) の役割と報告体制について。
③ リスクの認識と様式化・定量化:シナリオ分析、ストレステストが中心的な役割を果たすが、その他バリュー・アット・リスク (VaR) や全社的なリスク・マッピング、リスクの種類毎のメトリックス等、全社的なリスクの把握に資するものを併用する。
④ ERM戦略:各リスクへの対応策について。避ける、緩和する、移転する等。そのための手段は(金融商品、保険、取引契約条項等)。モニタリング体制は。全社的なポートフォリオ管理部署で行うのか、各ビジネス部門を通して行うのか等。
⑤ 企業文化(カルチャー):トップの姿勢やメッセージ、組織・個人の役割の明確化、オープンなリスク・コミュニケーション、懸念事項の報告、チャレンジを後押しする文化の形成等について。
リスク・カルチャーの重要性
ERMの構成要素の中でもリスク・カルチャーの重要性は極めて高いと言えます。これは企業の業績を大きく左右するリスク要因が、意図しないところに潜んでいる事例が往々にしてあるからです。製造業の例では、製品設計の小さなミスや外注先の製品の欠陥が後々発覚し、リコール等により多額の損失が発生するケースがあります。また金融機関の例では、あるトレーダーが帳簿操作や不正な取引を繰り返し、発覚した時には巨額損失となっていたケースがいくつかあります。これらを未然に防ぐためにはリスク管理を重んじるリスク・カルチャーが組織の隅々まで個人レベルで行き渡っている事が肝要です。
しかし企業では人材の流入が絶えずあり、各人のバックグラウンドや考え方、インセンティブが異なるため、共通認識を共有するのは簡単ではありません。鍵となるのは、①組織や個人の責任の明確化、②研修制度や、報告者を保護する等により、効果的なコミュニケーションやチャレンジを促すこと、③リスク管理を推進する報酬制度やインセンティブの制定、④トップの姿勢やメッセージとなります。
次回はERMテーマの後半で、ERMにおいてリスクを把握する主要な手法である、シナリオ分析とストレステスト、並びにERMの企業戦略の意思決定における役割、リスク管理の将来像について見ていきたいと思います。
【参考文献】
Foundation of Risk Management (Pearson Education) 等
◇MRAフェロー 伊東啓介
リスク管理最前線 第45回 〜データ統合とリスクレポーティング〜
リスク管理最前線 第44回 〜信用リスクの移転手法〜
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リスク管理最前線 第42回 〜リスク管理のガバナンス(パート4)リスクアペタイトとリミット〜
リスク管理最前線 第41回 〜リスク管理のガバナンス(パート3)取締役会の役割〜
リスク管理最前線 第40回 〜リスク管理のガバナンス(パート2)〜
リスク管理最前線 第39回 〜リスク管理のガバナンス(パート1)〜
リスク管理最前線 第38回 〜リスク管理ロードマップ(パート4)リスクアペタイトの実践〜
リスク管理最前線 第37回 〜リスク管理ロードマップ(パート3)リスク管理運用態勢の構築とリスクリミット体系〜
リスク管理最前線 第36回 〜リスク管理ロードマップ(パート2)リスクのマッピングと戦略の選択〜
リスク管理最前線 第35回 〜リスク管理ロードマップ(パート1)リスク・アペタイトの設定〜
リスク管理最前線 第34回 〜リスクの合算と統合型リスク管理〜
リスク管理最前線 第33回 〜リスクの定量化指標〜
リスク管理最前線 第32回 〜リスクの認識〜
リスク管理最前線 第31回 〜リスクの類型と相互関連(パート2)〜
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