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知っておきたい金融商品知識 第36回 ~企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(7)~
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企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(7)

企業はさまざまなリスクにさらされており、必要に応じてこれらをヘッジすることが求められる。おもな手段はデリバティブ取引や保険である。その利用目的としては、個別契約のリスクヘッジに留まることなく、企業価値そのものを向上させるという観点から検討すべきであろう。

米国では1980年代から現在に至るまで、なぜ企業はヘッジすべきなのかというテーマについてファイナンス理論からの学術的な研究およびそれらに関する実証研究が盛んに行われてきた。本連載では、現在これらをまとめて紹介している。

本連載第30回(ファイナンス研究から(1))では、企業がリスクを「ヘッジすべき」とされる具体的な理論根拠を以下の通り分類した。

イ)税引き後企業価値の期待値の向上
ロ)ディストレス(財務状況悪化)リスクのヘッジ
ハ)ステークホルダーの収入安定化による企業価値の向上
ニ)安定的な内部資金を保持することによる投資促進(過少投資問題の解決手段)
ホ)エージェンシー・コストの抑制(資産代替問題およびフリー・キャッシュフロー問題の解決手段)
ヘ)自己資本の解放による企業価値向上
ト)企業経営指標EVA・ROEの向上

今回は、前回取り上げた ヘ)について続けて考察したい(項番は前回に続けます)。
なお、参考文献については本文末に掲示し、本文中は略記(氏名(発表年))する。

8.自己資本の解放による企業価値向上

ハ.ヘッジによる積極的な資本・負債戦略と企業価値向上

前回議論したように、ヘッジは必要自己資本を減少させることができるが、減少させるだけではなく、解放されたこの自己資本を使って、新しいプロジェクトに投資する余裕が生まれるだろう(津森他2005)。余剰資本を新たな原資としてさらにレバレッジ(負債調達)を積極的に用いることで、事業利益の拡大と負債の節税効果という相乗効果をもたらし、より大きな企業価値の創造が期待できるのである。

Carter他(2006)は、米国の航空会社28社を調査し、本連載第33回で取り上げた「過少投資問題」の解決手段(安定的な内部資金を保持することによる投資促進)としてのヘッジ効果を強調している。それは、燃料費が高騰し、経営の困難になった中小の同業者が「特売セールス」に出されて、逆にヘッジによってキャッシュフローに余裕のできる大手会社による買収が行われるからである。明示的にリスク・キャピタルに言及しているわけではないが、結果的には同様のことを示唆することになろう。このような企業はトービンのqが高くなるとしている。

トービンのqとは、企業の総価値が総資産の再取得価格を上回るかを測定する指標で、簡便に示すと以下の通りになる。

トービンのq= (時価総額+有利子負債)÷総資産

トービンのqが1より大きい場合、企業の市場価値は総資産(資本ストックの価値)よりも大きいことを意味するため、市場から将来の収益力が期待されており、投資の拡大が期待されているということである。市場評価が高いと株式交換による買収がしやすくなり、このような企業はますます企業価値を拡大することになろう。ただし、トービンのqは企業価値が向上したことを実証するというよりも投資家がどう評価したかを見る指標、すなわち市場万能主義に陥りやすい指標であることに注意が必要だ。

また、ノーベル経済学賞を受賞したマートン教授は、企業にとって付加価値を産み出さないリスクを「パッシブ・リスク」と名付け、これを減少させて、付加価値を産み出す有望な事業に係るリスクを負うべきだとする(Merton 2005)。パッシブ・リスクの例として、新聞社における新聞紙製作コストの変動リスクや製造業の年金資産と年金債務のミスマッチ・リスクをあげている。Mertonは、このパッシブ・リスクには、リスク・キャピタルというクッションで対応するか、デリバティブ取引や保険で対応するか何れかを選択することになるが、新株発行によるリスク・キャピタルの調達は、証券会社等への手数料や株主配当への課税、さらには様々なエージェンシー・コストがかかることになるため、デリバティブ取引や保険で対応することが望ましい場合があるとしている。なお、地震・天候リスクや信用リスクのようにデリバティブ取引と保険の両方で対応できる場合があるが、デリバティブ取引と保険の契約効果の大きな違いは、保険によると査定の手間や填補金額の減額の問題が起こりうることに対して、デリバティブ取引では契約に規定されている数値条件での支払いがなされる点にある。

筆者は今後の企業価値向上を企図する経営戦略においては、ヘッジにより自己資本を解放し、その積極的な活用という観点が重要になってくるのではないかと考えている。

また、本連載でも今後解説する予定だが、EVA(Economic Value Added:経済的付加価値)やROE(Return on Equity:株価収益率)といった市場で重視されている企業経営指標が、ヘッジによって向上し、安定することが、モデルの分析により示すことができる(福島 2003)。

(参考文献)
津森信也・大石正明他『経営のためのトータルリスク管理』中央経済社、2005年
Carter, David A, Daniel Rogers and Betty Simkins, “Does Hedging Affect Firm Value? Evidence from the US Airline Industry,” Financial Management, Spring 2006, Vol.35, 53-86.(要約として、同著者の “Hedging and Value in the U.S. Airline Industry,” Journal of Applied Corporate Finance, Fall 2006, Vol.18 November 4, 21-33.)
Merton, Robert C., “You Have More Capital than You Think,” Harvard Business Review, November 2005, 84-94. (「事業運営にもデリバティブを応用せよ」Diamond ハーバードビジネス2006年4月(村井章子訳))
福島良治「デリバティブ取引はROE・EVAの安定に貢献する」『週刊金融財政事情』2003.9.15

◇客員フェロー 福島良治

知っておきたい金融商品知識 第37回 ~ヘッジによる企業価値の向上-EVA®・ROEの向上と安定化(1)~