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知っておきたい金融商品知識 第35回 ~企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(6)~
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企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(6)

企業はさまざまなリスクにさらされており、必要に応じてこれらをヘッジすることが求められる。おもな手段はデリバティブ取引や保険である。その利用目的としては、個別契約のリスクヘッジに留まることなく、企業価値そのものを向上させるという観点から検討すべきであろう。
米国では1980年代から現在に至るまで、なぜ企業はヘッジすべきなのかというテーマについてファイナンス理論からの学術的な研究およびそれらに関する実証研究が盛んに行われてきた。本連載では、現在これらをまとめて紹介している。
本連載第30回(ファイナンス研究から(1))では、企業がリスクを「ヘッジすべき」とされる具体的な理論根拠を以下の通り分類した。

イ)税引き後企業価値の期待値の向上
ロ)ディストレス(財務状況悪化)リスクのヘッジ
ハ)ステークホルダーの収入安定化による企業価値の向上
ニ)安定的な内部資金を保持することによる投資促進(過少投資問題の解決手段)
ホ)エージェンシー・コストの抑制(資産代替問題およびフリー・キャッシュフロー問題の解決手段)
ヘ)自己資本の解放による企業価値向上
ト)企業経営指標EVA・ROEの向上

今回は、ヘ)について見ていこう(項番は前回に続けます)。
なお、参考文献については本文末に掲示し、本文中は略記(氏名(発表年))する。

8.自己資本の解放による企業価値向上

イ.リスクファイナンスによる資本代替

企業がさらされているリスクには様々なものがある。自然災害や事故等の大きな損失リスクから事業に内在するリスク、原材料価格や売上価格または金利・為替・保有株式等の変動リスクが主なものであろう。これらに対してデリバティブ取引や保険でヘッジを行うことで損害発生時においても事業に必要な一定のキャッシュフローが維持され、資本が毀損されることが予防できる場合がある。このように企業リスクに応じて困難になる資金調達への対策のことをリスクファイナンスと呼ぶことがある。

リスクファイナンスには大きく「リスク保有」と「リスク移転」の2種類があり、リスク保有は事前に蓄えておいた自己資金(内部留保)によってリスクに対応することを指し、リスク移転はデリバティブ取引や保険などによって第三者にリスクを移転する方法をいう。このリスク移転の手法を採用することが、本連載第31回で述べた通りディストレス(財務悪化)・リスクのヘッジになり、信用力が増すことで負債余力が生じ、さらにはリスクに備えるバッファーとしての自己資本を「相対的」に減らすことにつながる。このようにヘッジ行為は一種の資本代替手段と考えることができるのである(Stulz 1996、花枝1997、Culp 2004)。

ロ.自己資本の意義(バーゼル規制からの含意)

銀行の安全性を維持することを目的として、銀行の自己資本の充実を求める国際規制(いわゆるバーゼル規制)がある。高度な数理技術水準が求められる信用リスク管理手法(内部格付手法と呼ばれる)を用いることができる銀行に対しては、銀行がさらされているリスク、すなわち「非期待的損失額」(Unexpected Loss:UL)に相当する自己資本が求められている。非期待的損失額とは、銀行が対応すべき最大損失額(統計的数値であるVaR:Value at Risk)から期待的損失額(Expected Loss:EL)を差し引いた残りの、発生可能な損失額のことをいう。

過去の観測事象でたとえば確率0.1%未満しか発生しない大きな損失額に対しては倒産する可能性があるが、それに至らない損失には持ちこたえるという経営方針の場合、信頼区間99.9%の最大損失額をVaRという。この99.9%VaRから期待損失額(EL)を差し引いた非期待損失額(UL)以上の資本(リスク・キャピタル)を準備することがバーゼル規制で要求されているのである。期待的損失額(EL)とは、過去のデータ計測期間において平均的に発生した損失であるため、これに自己資本を充当することは減資につながり、事業の継続性、ひいては債権者(預金者)の財産を危うくするものである。したがって、バーゼル規制では、この期待的損失額(EL)には引当金(期間利益)を充当(不足する場合は、自己資本から控除される)し、そして、これを超える一定の非期待的損失額(UL)、すなわちいわば超過リスクに対して自己資本を準備しておこうというものである。

この考え方は銀行のみならず、一般企業においても妥当するものであろう。すなわち、事業を実施、継続するためには、平均的に発生する損失には期間利益の範囲で対応し、自己資本(リスク・キャピタル)は非期待的損失額(UL)、超過リスクに備えるべきものであり、そして、この非期待的損失額(UL)をヘッジによって抑制できるのであれば、そのことで自己資本を減少させることができる(図表参照)。ヘッジを行うことで、まずは銀行等債権者からの評価が上がり借入れコストが減少するなど期待的損失額(EL)自体の一定の抑制が期待できる。さらには、これまで本連載で見てきたように、発生する頻度は低いが、インパクトの大きいディストレス・リスク、デフォルト等、非期待的損失額(UL)の生じる事象こそがヘッジにより抑制できると考えられるのである。

(図表)ヘッジによる非期待的損失額の抑制イメージ

(参考文献)
Stulz, Rene, “Rethinking risk management,” Journal of Applied Corporate Finance, 1996, Vol.9, No.3, 8-24.
花枝英樹「事業会社の財務リスク管理政策」『一橋論叢』1997.11
Culp, Christopher L, “Risk Transfer - Derivatives in Theory and Practice,” John Wiley & Sons,Inc. 2004.
津森信也・大石正明他『経営のためのトータルリスク管理』中央経済社、2005年

◇客員フェロー 福島良治

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