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諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第13回 ~ヘッジファンド業界の変化、生き続ける手法、ユーロ創設~
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ヘッジファンド業界の変化、生き続ける手法、ユーロ創設

プレーヤーの変化、生き続ける手法

LTCMの破綻は様々な問題を提起し、ヘッジファンド業界に変化をもたらした。もっとも問題とされたのがそのサイズだ。巨額のポジションを構築していたことで、破綻した場合の市場への影響、ポジションの手仕舞いによる価格変動が激しくなる。様々なポジションを構築していれば、ひとつの市場におけるポジションの破綻が、手仕舞いを通じて他の市場に波及することになる。こうした値動きに巻き込まれれば、他のプレーヤー、ヘッジファンドや投資家の損失が拡大し、次から次へ伝播していく可能性がある。銀行間取引においては、破綻による取引失効でカウンターパーティーリスクが顕在化する。

あらためて意識されたのが「池のクジラ」リスクだ。市場規模に対しポジションが大きくなりすぎたことによるリスク。反対売買して利益を確定しようとすると、その行動そのものが相場を不利な方向に動かし、残るポジションの評価を悪化させてしまう。自分で自分の首を絞めるかたちとなる。手仕舞いを続ければ損失に至る可能性も生じ、評価益が絵にかいた餅に終わる可能性が高まる。理論的に積み上がった収益も、市場の流動性を考慮しなければ意味がないということが再認識された。

その結果、ヘッジファンド業界においても「大鑑巨砲」から「駆逐艦群」へとプレーヤーの変化が始まった。それまではいくつかの限られた巨大ファンドが暴れ、相場を動かしてきた。その状況ではいくつかのファンドの売買動向を把握しておけば、相場へのインパクトやリスクが想定できた。しかし次第にそのサイズが小さくなり、中小型ファンドが乱立するようになる。それらファンドがある程度同じ方向に動き、その流れのなかでもポジション構築や手仕舞いに時間的なバラつきが生じ、あるいはなかには反対方向のポジションを構築するような状況へ。こうなると、ヘッジファンドの動向は個別ではなく群れとして把握する必要が生じる。1頭のクジラではなくイワシやカツオの群れを相手にするような感覚だ。そうした状況は現在まで続き、今では巨大ファンドの名は聞かなくなった。

その「群れ」を形成する、共通したポジションや売買手法の根底にあるのは、基本的にLTCMやジョージ・ソロスの手法と変わらない。トレンドに乗りロングポジションかショートポジションをとる手法か、トレンドと関係なくロング・ショートを組み合わせるか、いずれか。割安買い・割高売りの裁定取引は、様々な市場で構築された。あるいは異なる市場間で相関関係を見出し、売買の指標とするか、あるいはいずれの市場でも同一方向リスクのポジションをとるか。シンプルには日米金利差とドル円相場、日本株とドル円相場、欧州債における南欧債とドイツ債のスプレッドとユーロ相場、など。今でも裁定取引や相関分析による取引は活発だ。

収斂か拡散か、循環変動か不可逆変化か

ヘッジファンドの投機取引の機会ともなっていたのが、様々なイールドスプレッド、基準となる無リスク債券の利回りに対する当該債券の上乗せ金利差の動向だ。市場参加者が当該銘柄ないし発行体のリスク判断の指標としているのがこのイールドスプレッド。ドル建ての債券であれば米国債との金利差、ユーロ建て債券であればドイツ国債との金利差をみることになる。

意すべき点としては、イールドスプレッドは様々な債券の市場取引の結果である利回りの格差だということ。したがって、実際にリスクがあるかどうか、を示すというより、市場がリスクをどのようにみているか、という指標だ。市場の見方が間違ってリスクを過大に評価してスプレッドが拡大、価格が下落していれば、いずれスプレッド縮小・価格持ち直すことになる。一方、リスクが顕在化すれば、さらなる価格下落、スプレッド=上乗せ金利拡大となる。LTCMはロシア国債のスプレッド、上乗せ金利が財政破綻確率に対して大きすぎる、と考えて投資したが結果はロシアがデフォルトに至り失敗に終わった。理論的な水準に「収斂」するとみていたが、実際にはデフォルトにより「拡散」したということになる。

イールドスプレッドのみならず、相場全体として、収斂的な状況か、拡散的な状況か、どちらの状況か念頭において相場を判断するのは常に重要だ。テクニカル分析において、売られ過ぎ・買われ過ぎのシグナルに基づいて売買するのは、収斂的な状況を念頭に置いているということになる。逆張り戦略は収斂的な相場環境が前提だろう。一方で拡散的な状況は例外的なのかもしれない。既出のロシア国債の場合は拡散的な状況に陥った。割安なものがさらに割安に売られる。あるいは、アジア通貨危機のように、無理に固定された相場が理論値・実力値から大きく乖離し、ついに耐え切れずに急落することもある。この場合は固定相場が機能している間は収斂的状況だが、一気に拡散的状況に陥るケースだ。結果的に理論値との乖離が埋まるなら、新たな収斂ともいえる。またバブル相場は収斂から外れて拡散的に高値をとりに行く状況といえる。弾けたあとは一気に収斂的状況に戻る。広義では収斂が活きているが、バブル生成時は拡散的状況だ。収斂と拡散、という概念は、相場の循環変動か相場の不可逆変化か、と置き換えて良いかもしれない。

「哲学者・社会科学者」ジョージ・ソロスの思考・概念

こうしたことを意識していたのが著名な投資家・投機筋であるジョージ・ソロスだ。イギリス・ポンドが欧州通貨制度(EMS)の変動許容幅を維持するのが難しいとみて、拡散的な方向、ポンド売りに賭けた。アジア通貨もドルペッグ制・対ドル固定相場の維持が困難とみてアジア通貨売りを仕掛けた。彼は均衡への収斂を妨げる状況、相場が拡散的に走っていく状況、そして行き詰まり収斂するメカニズムを理解していたようだ。そのトレンドに乗る、あるいは一定のところで行き詰まることを見越して逆張りをする。市場におけるバブルの生成と崩壊、ブーム&バースト、が生じることを必然と認識していた。こうしたその著書「グローバル資本主義の危機~開かれた社会を求めて」において「誤謬性と相互作用性」という概念を用いて考え方の枠組みを示している。市場機能は不完全であり過大な役割を期待することは難しい。「誤謬性」とは市場参加者の認識は不完全であることを指す。「相互作用性」とは市場参加者が現実を受動的に理解しようとすると同時に、参加することによって能動的に作用するということを指す。それによって市場におけるブーム&バーストを冷静に見つめている。

ジョージ・ソロスといえば投機筋の筆頭のようにみる人が多い。しかし哲学、社会思想、経済学、など広範囲におよぶ知識人だった。単なる相場師ではない。大きな枠組みで、社会、経済、市場を観察している。そしてその運営するファンドでとったポジションは、自らの思考・概念の正しさを証明するためのものだった、と言ってもよいのではないか。彼のような人物を今の市場参加者、ヘッジファンドに探しても見当たらない。いや、いるのかもしれないが、ファンドの規模が「大鑑巨砲」から「駆逐艦」となった今、目立ちにくく、見つけ出すのは難しいのかもしれない。

ユーロ誕生へ~創設前の欧州通貨高、創設後のユーロ安

98年は国際金融市場にとって大波乱の年ではあったが、同時に99年初の統一通貨ユーロ誕生に向けていよいよカウントダウンの年でもあった。各国がマーストリヒト条約で定めた参加基準を満たすことができるのか。とくにイタリアの参加を巡り、財政基準を満たせるのかどうかが最大の注目点となっていた。ユーロ圏が旧ローマ帝国の復活、その版図における国家の再統合ともいわれるなか、イタリアの不参加、排除は政治的にありえない、との見方が主流だった。

その参加可能性をみるうえで最もわかりやすいのがドイツ国債とイタリア国債のイールドスプレッドだった。健全財政の優等生であるドイツと、大衆迎合的な政権による放漫財政の結果、財政赤字が大きく拡大したイタリア。ともにユーロ圏の一員となりユーロ建ての国債を発行することになれば、債券利回りは多少の乖離はあるにしても収斂するとみられた。そのイールドスプレッドは、実際に参加の可否がどうなるかはともかく、市場による信任投票のようなものだ。ユーロ創設に近づくにつれ金利差は縮小。イタリア国債の利回りは低下していった。もちろん不可となれば、一気に金利は跳ね上がり拡散的な状況になっただろう。結果としてはスペイン、ポルトガルなどの南欧諸国も含めてイタリアは共通通貨圏、ユーロに移行した。イタリア・リラは消失しユーロとなった。

ユーロ創設前、欧州通貨は大きく上昇した。しかしスタートした後は下落。これをもって、ユーロ創設への期待感で買われ、材料出尽くしで売られたとの見方もある。しかしその実は、ユーロ創設により欧州における「高金利通貨」「高金利国債」が消失したことが大きいのではないか。イタリアやスペインがユーロに参加すれば、これらの国の金融政策はECBに一本化され、政策金利はドイツやフランスと同水準となる。そうなればこれらの国の長期国債利回りも低下することになる。高金利のイタリア国債が消失する前に投資しておこうとなるのは当然だ。かくしてユーロ圏に参加する確度が高まるにつれてドイツ国債とのスプレッドが縮小する、すなわちイタリア国債やスペイン国債が買われる、その過程で欧州通貨も買われた、と考えられる。

一方、ユーロ創設後は、イールドスプレッドの縮小は終わり、相対的な利回りの魅力は消失。また短期金利が新通貨「ユーロ」の金利となり、低金利となったことで為替ヘッジもかけやすくなったとみられる。欧州高金利国債への投資が一服し、為替ヘッジが行いやすくなったことが、ユーロ創設前後でブーム&バーストが起きた背景なのではないか。

さらに、この時期、米国経済はITバブルの頂点に駆け上がる時期にあった。FRBは98年末にかけて政策金利を5.50%から4.75%に利下げしたが、99年半ばからは一転して利上げを強化。2000年には6%台に引き上げていった。ユーロドル相場は創設時99年初の1.17近辺から1年後には1.00=パリティ割れに下落する。

◇MRAフェロー 深谷幸司

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