CONTENTSコンテンツ

諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第14回 ~新外為法施行、為替取引自由化、企業・投資家の変化~
  • 諸行無常の為替市場
  • 為替市場コラム

新外為法施行、為替取引自由化、企業・投資家の変化

外為取引の完全自由化~日本版ビックバン

日本の金融危機がただなかにあった98年4月、外国為替管理法が改正され、いわゆる「新外為法」が施行された。それまでの「原則自由」から「完全自由化」に。個人や企業が自由に対外取引をできるようになった。それまでの外国為替取引は「原則自由」とはいえ一部の金融機関に集中し管理されていた。しかしこの、外国為替取引は大蔵大臣が認可した外国為替公認銀行や指定証券会社を通じてしかできない、という為銀主義、指定証券会社制度が撤廃されたのだ。新法は「外国為替及び外国貿易法」となり、法律名称から「管理」の文字が消えた。

最も大きかったのが、資本取引の事前届出・許可制の廃止だ。事後報告を基本とする報告制度に移行した。取引銀行経由での外国為替取引は銀行が取りまとめて大蔵省(現財務省)へ報告。経由しない取引は自ら報告することとなった。報告義務違反には罰則が科せられたが、報告しさえすれば自由にいつでも取引できるようになったことは大きい。

この改正によって外国為替取扱業者が格段に増加した。それまでは外国為替公認銀行やホテルなど両替商に限られていたが、金券ショップや旅行代理店でも取り扱いができるようになった。取扱金融機関や業者の増加は自ずと手数料の引き下げ競争をもたした。これこそが自由化の目的でもあり当然の流れだった。また、それまで円と外貨の売買のみが認められており、外貨と外貨の間での売買はいちど円との両替を介するため二重に売買手数料、オファービッドによる為替差損(銀行にとっては差益)がかかった。これが円を介さず外貨と外貨の直接売買が可能となったことで手数料が削減され取引がしやすくなった。

業者の拡大として特筆すべきは、当時米国で行われていた外国為替証拠金取引が国内の証券会社によってはじめて開始されたことだ。その後、外国為替証拠金取引業者(いわゆるFX業者)の設立・隆盛につながっていく。またビックバンの名のとおり、海外金融機関・証券会社へのアクセスが可能となった。海外金融機関や海外証券会社は国内での営業が禁止されていたため、あくまでも国内顧客が自らアクセスする場合に限られた。ただそれでも富裕層を中心に海外預金や外貨資産投資を一段と行いやすくする下地が整った。

企業の為替リスク管理・外貨マネジメントの高度化

新外為法施行は企業にとってもメリットが大きかった。それまで為替売買における優遇レートの適用や手数料優遇は大口取引先、上場優良企業を中心に行われていた。これが今回の改正でより幅広い企業に広がった。銀行は手数料引き下げによる収益減を取引ボリューム拡大で補おうとした。これが手数料引き下げ競争と相乗的に企業に有利に働いた。また外貨建て証券発行による資金調達、それに係る外貨売買が事後報告で済むようになったことで機動的な資金調達が可能となった。

それ以上に印象に残ったのは大企業による為替リスク管理、外貨資金管理の高度化だ。親会社・海外子会社間での外貨取引の自由化をもとに、内外を総括して為替リスク・資金管理体制を構築する動きが強まった。アジア危機を経てアジア各拠点における為替リスク管理はシンガポールに総括、ないし日本の本社で総括管理する動きが強まった。アジア各拠点では、ドル、円、現地通貨、の3通貨を管理する必要があった。現地通貨の対ドル相場、対円相場、を中心に為替リスクに晒される。さらにドル円相場の想定レート・社内レートを考慮する必要もあった。アジア通貨がドルペッグ(対ドル固定相場)を離れ変動相場制となったことで、これらをアジア拠点の手薄な財務人材でカバーすることは困難となった。そこでアジア統括拠点であるシンガポールや日本本社で管理するようになった。外貨を両拠点のいずれかに集中することになったが、海外が現地法人であれば内外親子会社間での為替取引となる。新外為法ではそれが容易になった。

欧州ではユーロがスタート。アジアとは逆に各国の通貨がユーロに統一されたことから加盟各国間の為替管理は必要なくなった。唯一、ポンドが通貨としては残留したためポンドとユーロの二本立てに。一方、生産拠点が東欧に拡大したことで、ユーロに加盟していない東欧通貨のリスク管理が必要となった。東欧で生産、中国や米国に販売、いった物流も生じ為替リスクも複雑さを増した。これをロンドンやアムステルダムの現地法人、金融子会社で管理するか、あるいは一旦取りまとめ日本本社で統括する動きもみられた。アジア通貨のドルペッグ離脱・変動相場制への移行、ユーロ創設による欧州西側各国通貨の「消滅」、東欧でのビジネス拡大による東欧通貨のリスク、など、とくに大企業において為替リスク管理は質的に変化、複雑化していった。

そうしたなか、国内経済が金融危機で苦境に陥るとともに、稼いだ利益を海外投資に回す動きが活発化。稼いだ外貨を日本本社に戻しつつも外貨のまま海外へ投資することが散見された。その際には円を通さず外貨・外貨で為替売買を実施。また先進的なメーカーでは、アジアで稼いだ資金を、本社を経由せずに欧州や米国に回付することも行われていた。こうしたことが可能となったインフラ面での寄与はインターネットの普及、PCの性能向上にあった。

企業の為替リスク管理・資金管理の変化に対し大手銀行も対応。グローバルに資金フロー、決済を囲い込み、あるいは資金を自行内に滞留させるなどして収益機会を拡大すべく、グローバル・キャッシュ・マネジメントシステムをセールスし囲い込み競争が強まった。為替リスク管理の複雑化にともない、為替相場見通しも多様な通貨にニーズが拡大。新興国通貨通貨への需要が強まった。

自由度を増した投資家に対応する金融業界

為替取引が本来的な意味で自由化されたことで円の投機取引が自由になった。既述のとおり証券会社が外為証拠金取引を開始。その動きは証券業界に広がった。さらに外為証拠金取引専業会社、いわゆるFX業者が誕生する。国内では徐々に投機的な為替取引が拡大していく基盤が整っていった。

一方、海外勢にはすでに為替の投機取引は一般的だった。ヘッジファンドはポンド危機やアジア通貨危機ではペッグ制の持続可能性の困難さを突いて投機的な売買ポジションを構築。読み通りペッグ制が崩壊したことで利益を上げた。その後は、ファンダメンタルズや金利差、債券株式市場との相関などを睨み、為替ポジションを構築し、トレンドフォローのポジションで収益を狙うスタイルが一般的となっていた。その際にレバレッジをかけることも多かった。海外の金融機関はヘッジファンドとの取引で大きな売買フローを取り込むとともに、その動向を把握して自己売買に活かすことで収益を上げた。与信供与、流動性供給、そして為替相場動向に関する予測・分析・情報提供が取引の鍵となった。

日本の金融機関は新外為法によって為替売買1ドルあたりマージンの低下、手数料率の低下などにより収益基盤を揺るがされた。結果ボリューム志向となり、また拡大する円の投機取引を取り込むべく動いた。円の情報は日本の金融機関が最も掴んでいる、と考えられたため、当時の東京三菱銀行は、合併前からの強味である信用度・国際性を基盤に、様々なヘッジファンド、海外投資家、海外中央銀行とコンタクトが可能となり、それらの円売買フローを取り込むよう努めていた。外国為替業務による収益は、大口取引においては、手数料よりもボリュームに、さらにフロー全体での売買マージン確保、大口顧客売買傾向を把握した自己ポジション構築による収益獲得、という方向に向かっていった。

◇MRAフェロー 深谷幸司

諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第13回 ~ヘッジファンド業界の変化、生き続ける手法、ユーロ創設~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第12回 ~アジア危機の余波とLTCMショック~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第11回 ~勃発した日本の金融危機~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第10回 ~混乱を極めた1997年、アジア通貨危機の激震~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第9回 ~1995年~96年 市場分析の定着、相次ぐ不正取引事件も追い風~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第8回 ~90年代後半 相次ぐ市場混乱、激動の始まりとしての1995年~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第7回 ~不穏な90年代前半、円高と格闘する日本企業~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第6回 ~貿易収支と通貨政策-通貨マフィアの時代~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第5回 ~市場分析の黎明期-金融工学のはしり~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第4回 ~プリミティブな日本の金融市場とバブル経済~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第3回 ~蠢く80年代~円相場の夜明け~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第2回 ~固定相場から変動相場へ~
諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第1回 ~為替市場分析のはじまり~