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諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第12回 ~アジア危機の余波とLTCMショック~
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アジア危機の余波とLTCMショック

尾を引くアジア通貨危機の影響、ロシア危機の発生

97年夏のアジア通貨危機の余波はその後も続いた。アジア通貨危機によってアジア経済が窮地に陥り、世界経済にも暗雲が垂れ込めた。1997年秋に勃発した日本の金融危機も、アジア危機によって、株価反発・地価反発の望みが絶たれ、80年代後半のバブルの後始末が一気に顕在化したと整理してもよいだろう。

米国は90年代前半、前期クリントン政権のもとで通商政策としてドル安をちらつかせた。ただそうしたドル安志向が行き過ぎてドル不安となると95年にドル高志向へ政策転換。ドル円相場は一時80円割れに下落していたが、95年春からの先進各国による協調ドル買い介入によってドル高の流れが明確となった。アジア通貨危機は、堅調となるドルにペッグしていた(対ドル固定相場としていた)アジア通貨が、強いドルに付いて行けなくなった結果とも整理できる。

盛り返す米国経済、ドル高は、weak link弱い部分に打撃を生じた。新興国には厳しい目が向けられる。アジアがその先駆けとなったが、続いたのはロシアだった。ロシアは1991年末にソビエト連邦が崩壊し誕生したが、ロシア経済はエネルギー産業頼みの状態が続いていた。そこにアジア危機、世界景気低迷で原油安が遅い経済・財政が窮地に陥った。アジア通貨危機で投資家はリスク回避、質への逃避を強めており、資本流出に見舞われた。ロシアルーブルは下落、買い支える外貨準備は尽きていた。対外債務の返済に目途が立たないことが明らかとなり、ついに98年8月、対外債務の90日間支払い停止と債務整理を実施した。ルーブル不安から国内でルーブル売りドル買いが活発化。ロシア国内の銀行はドル建てで資金調達していたため相次いで破綻した。

LTCM破綻による国際金融市場の混乱

そのあおりを受けて破綻したのが巨大ヘッジファンド、LTCM(ロングタームキャピタルマネジメント社)だ。その特徴は、高いレバレッジと巨額のロングショート戦略。顧客から集めた50億ドル弱の投資元本を元手におよそ25倍のレバレッジをかけ1,300億ドル弱を運用。当時のドル円相場で換算すると日本円で15兆円に達した。さらにデリバティブなども含めた金融機関との様々な契約は1.25兆ドルにも及んだ。

その戦略であるロングショート戦略は今では広く知られた手法となっているが、割安買い・割高売り。過去の統計や価格データからみて、割安となった銘柄を買い、割高な銘柄を売る。割安・割高修正の値ザヤを稼ぐ手法。またシンプルに割安となった金融資産を購入する戦略も用いていた。このうち新興国関連の投資が巨額の損失を生じた。割安修正で買われるとみていたものの、事態は悪化する一方。投資家のリスク回避により一向にリスク資産である新興国市場に資金は戻らず。とくに問題となったのがロシア国債。財政破綻により大幅に減価したまま、価格回復の期待は潰えた。他の新興国関連資産やシンプルに相場動向に賭けた投機ポジションも状況が悪化。資金を預けた投資家のみならず、レバレッジを許容した金融機関、契約の相手となった金融機関、などを多数巻き込んで同ファンドは破綻。市場では大量のポジション解消が生じ、とくに流動性の低い市場は混乱した。LTCMを真似た投資家独自のポジション、同様の戦略に乗ったヘッジファンド、などの損失回避、リスク回避はさらに強まり投機ポジションの玉突き的な解消が生じた。

この頃、為替市場では日本の金融不安を煽った投機的な円売りがなおも嵩んでいた。いわゆる「日本売り」、株安、円安、が同時進行。ドル円相場は98年8月に一時147円台をつけていた。95年4月に80円を割っていたところからわずかに3年で147円まで8割以上も円は下落していた。ただ夏場にはリスク回避が強まり、10月初にかけては136円近辺まで下落。LTCMの破綻が明らかになると、わずか4日ほどで115円近辺まで暴落、急激な円高となった。投機的な円売りポジションが一気に解消し円買い戻しが生じた。

こうした動きには、投資家や輸出入の実需は対応が難しい。輸入企業はほっとひと息だが、すでに高値でつかんだドルが手元にあった。輸出企業は好採算の状態が一瞬にして損なわれた。極端な相場は持続しない、とはいえ、どこにどのようなリスクが隠れているのか。当時を振り返れば、147円をつけた時点ですでにドル安円高を予想はしていたものの130円まで。戻りの悪さにさらに120円台前半までの円高予想に修正していたものの、LTCMショックは想定外でドル安円高は想定を超えた。

バタフライエフェクト、ブラックスワン

LTCMショックは新たなリスク概念をもたらした。国際金融危機ではあるが、アジア通貨危機のようなファンダメンタルズや債務、通貨システムに端を発する危機ではない。金融機関の破綻ではなく、投資家、とうより投機筋、ファンドの破綻が発端だったことも新たな事象だった。市場発の危機であり、ビッグプレーヤーの破綻が資産売却・ポジション解消を通じ、他の市場参加者のポジション解消も誘発し、次々に他の市場に伝播したことは初めてだろう。もとはといえば、アジア通貨危機に端を発する危機ともいえる。そのアジア通貨危機も、きっかけはタイのバブル崩壊、それに着目したバーツ売りが発端だ。それが他のアジア諸国、対ドルでペッグ制(固定相場制)をとっていた国に伝播。新興国全体が怪しくなり、リスク回避が強まり、日本では金融危機を誘発、そしてロシア危機を誘発。最後に国際金融市場で大きなリスクイベントとなった。バタフライエフェクトによる最終局面だった。学ぶべき教訓は、何かリスクイベントが生じた場合に、安易に収束を期待しない、原因や背景を調べ同様のリスクが及ぶ可能性、場所、主体を警戒する、些細なことでも警戒を怠らないということだろう。

LTCMショックはまた、金融市場分析や統計的な売買手法、あるいは金融工学の限界も示した。同ファンドを運営していたのはノーベル経済学賞を受賞した面々。その考え方をもってしても、理論通りに相場は動かなかった。割安なものはさらに割安に、場合によっては価値がゼロになる可能性があることを示した。リスク回避の流れには抗えず。市場参加者が価格を決めるという点において、市場心理を無視した理論的な価格に実勢相場が収れんする保証は何もない。

LTCMを運営するノーベル経済受賞者たちはロシアが財政破綻しロシア国債が紙くずとなるリスクを「6σ」(シックス・シグマ)と判断していたという。確率分布において6標準偏差外側ということは、限りなく確率はゼロに近い。確率分布の中央の山からはるか離れた裾野という判断。ただ発生確率はゼロではない。それが実際に生じたこの事例が、主役として申し分なかったこともあり、テールリスク(確率分布ではるか裾野の事象が発生するリスク)が広く意識されるようになった最初の事例だろう。ブラックスワンはどこからともなくやってくる。突然現れる可能性がある。

リスクバイアスを常に念頭におくこと、投機的なポジションの動向、市場心理の傾きを一段と注視する必要があること、一方的な相場展開のリスク、について学ぶべき事例だった。ドル円相場はわずか3年間で80円から147円へ、さらに115円へ、大変動。この荒波をどう乗り切るべきか。海外勢、とくにヘッジファンドが好き勝手に相場を乱高下させる状況にどう対処するか。日本の企業や投資家に、いかにこの相場の荒波、リスクをうまく乗り切ってもらうか。為替アナリストである自分の使命をあらためて意識したイベントだった。

日本では金融不安燻りさらなる再編へ

LTCMショックが生じた1998年秋。なおも日本では金融システムが揺れていた。正確には金融システムそのものは揺れていないが、金融機関の整理淘汰が一段と進みつつあった。10月には日本長期信用銀行が事実上破綻して国有化。12月には日本債券信用銀行が破綻し国有化された。単純な破綻が回避され国有化となったことで金融システムの動揺は避けられた。バブル時代の不良債権が結局のところ処理しきれなかったことが要因。さらにいえば、金利スワップ市場の発展によってかつての長短分離の金融規制、都銀と長信銀の業態分離が意味をなさなくなっていたなかで、ついに整理されたととらえられる。規制撤廃、自由化の流れのなかで必然的に生じた結果ではあった。

その後も日本では金融機関の体力勝負が続き、2000年代に向けて合併が模索され続けた。銀行と顧客企業は、互いに選別する側であり、選別される側でもあり、とくに大企業においては明らかに企業優位の関係となった。そうしたなかで、企業においても様々な金融手法、バブル期のような運用商品ではなく、ファイナンスやリスクヘッジ手法の導入が一段と活発化していくことになる。

一方、その頃、米国ではいよいよITバブルが頂点に向かう。90年代前半まで苦戦していた米国企業の持ち直し、政府による情報通信技術開放、ドル高政策による資本流入。情報通信関連投資と資本流入、株価上昇とファイナンスの好環境。日米の経済はバブル期から完全に逆転した。そして欧州ではいよいよ単一通貨ユーロの誕生に向けカウントダウンとなる。

◇MRAフェロー 深谷幸司

諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第13回 ~ヘッジファンド業界の変化、生き続ける手法、ユーロ創設~