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知っておきたい金融商品知識 第32回 ~企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(3)~
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企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(3)

企業はさまざまなリスクにさらされており、必要に応じてこれらをヘッジすることが求められる。おもな手段はデリバティブ取引や保険である。その利用目的は、個別契約のリスクヘッジに留まることなく、企業価値そのものを向上させるという観点から検討すべきであろう。
米国では1980年代から現在に至るまで、なぜ企業はヘッジすべきなのかというテーマについてファイナンス理論からの学術的な研究およびそれらに関する実証研究が盛んに行われてきた。本連載では、現在これらをまとめて紹介している。
本連載30回(ファイナンス研究から(1))では、企業がリスクを「ヘッジすべき」とされる具体的な理論的根拠を以下の通り分類した。

イ)税引き後企業価値の期待値の向上
ロ)ディストレス(財務状況悪化)リスクのヘッジ
ハ)ステークホルダーの収入安定化による企業価値の向上
ニ)安定的な内部資金を保持することによる投資促進(過少投資問題の解決手段)
ホ)エージェンシー・コストの抑制(資産代替問題およびフリー・キャッシュフロー問題の解決手段)
ヘ)自己資本の解放による企業価値向上
ト)企業経営指標EVA・ROEの向上

今回は、ハのなかでも経営者のインセンティブについて見ていこう(項番は前回に続けます)。
なお、参考文献については本文末に掲示し、本文中は略記(氏名(発表年))する。

5.経営者の報酬体系と企業価値

前回は、企業がヘッジすることによって株主以外の経営者、従業員、購買先といった企業に関係する人たち、すなわちステークホルダーの収入利益を安定化することになり、それが企業価値を向上させるということを考察した。

ただし、経営者に関していえば、さらにその報酬設計がリスクヘッジの実施に影響を与えることになる。たとえば、経営者個人への報酬(経営者の期待効用といえる)が企業価値に対して凹関数(上に凸のグラフ)となると経営者はリスク回避的な行動をとり、企業価値のヘッジを遂行することになる(Smith and Stulz1985)。前々回(第30回)および前回(第31回)も使った図表1を利用して説明したい。企業価値がaからcまで振れると、経営者への報酬の期待値はqであるが、企業価値をヘッジによってbに固定すると報酬の期待値はpに上がる。なお、このことは経営者個人も累進課税となると企業が税引後利益の期待値を高めようとする(本連載第30回参照)のと同様に、税引き後収入を増やすためにヘッジを求めるであろうし、一般的な個人の限界効用は逓減性(上に凸のグラフ)を示すといわれることも、このような報酬体系が相応しいことの裏付けになるといえよう。

(図表1)【Smith and Stulz1985】の企業価値と経営者への報酬の関係図(凹関数の場合)

しかし、ボーナスやストックオプション等により経営者個人への報酬(期待効用)が企業価値に対して凸関数(下に凸のグラフ:図表2))になるならば、企業価値をヘッジせずにリスクを選好することになる。ストックオプションは株式コールオプションの買いポジションと同じものであり、株価の上昇メリットはあるが下落リスクは負わない仕組みといえる。2005年8月、米国格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、1993年から10年間のデータを分析したところボーナスやストックオプションで高額報酬を経営者に与える企業は格下げの可能性が高いという報告を行っている。その理由は示されてはいないが、短期的な収益を目指してリスク選好的な経営を好むからだと考えられる。

(図表2)【Smith and Stulz1985】の企業価値と経営者への報酬の関係図(凸関数の場合)

なお、経営者(リスク回避的であることが前提)へのインセンティブの与え方によってかれらがデリバティブ取引をどのように利用するのかを、オーナー色が強く成長性の高い金採掘企業と同業種で成長率があまり高くはない企業を比較して調査したのが、Petersen and Thiagarajan(2000)である。前者では経営者の持ち株比率が高く、その報酬は「株式価値」に連動しており、経営者はこの振れを抑制するため金の先物取引による中長期価格ヘッジを積極的に行っている。

これに対して後者(成長率があまり高くない会社)では、経営者のインセンティブを目先の「年度利益」にリンクさせており、この振れを制御するデリバティブ取引を利用するのではなく、金(きん)の価格変動を打ち消すように会計処理の変更を頻繁に繰り返している。たとえば、年金費用の償却期間の変更等である。これらのオペレーションの結果、デリバティブ取引による中長期ヘッジを行っている前者の方が後者よりも金価格比での資産価値の変動率は17%少ない結果を示しているとのことである。また、Tufano(1996)は、北米の金採掘企業48社について1991~93年のデータを用いて分析した結果、経営者自身がストックオプションではなく普通株式をより多く保有する企業は、本業リスクである金の価格リスクをヘッジしていると報告している。

企業価値向上のためには、経営者がヘッジ回避的になるような報酬体系を設計するのと同時に、さらに中長期的な株式価値を示す指標とリンクさせることが望ましいのかもしれない。

(参考文献)
Smith, Clifford and Rene Stulz, “The determinants of a firm’s hedging policies,” Journal of Financial and Quantitative Analysis, December 1985, Vol.20, No.4, 391–405.
Petersen, Mitchell A and S. Ramu Thiagarajan, “Risk Measurement and Hedging: With and Without Derivatives,” Financial Management, Winter 2000, Vol.29, No.4, 5-30.
Tufano, Peter, “Who Manages Risk? An Empirical Examination of Risk Management Practices in the Gold Mining Industry,” Journal of Finance, September 1996, Vol.51, No.4, 1097 – 1137.

◇客員フェロー 福島良治

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