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知っておきたい金融商品知識 第30回 ~企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(1)~
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企業はなぜリスクヘッジすべきなのか-ファイナンス研究から(1)

企業はさまざまなリスクにさらされており、必要に応じてこれらをヘッジすることが求められる。おもな外部的な手段はデリバティブ取引や保険である。しかし、その利用目的は、個別契約のリスクヘッジに留まっているケースが多いのではないだろうか。これまで記述してきたように、ヘッジは企業価値そのものを向上させるという観点から検討すべきだと考える。
米国では1980年代から現在に至るまで、なぜ企業はヘッジすべきなのかというテーマについてファイナンス理論からの学術的な研究およびそれらに関する実証研究が盛んに行われている。しばらくの間、本連載ではこれらをまとめて紹介したい。
なお、参考文献については毎回本文末に掲示し、本文中は略記(研究者氏名(発表年))する。

1.企業がリスクをヘッジすべきとする理論分類

ファイナンスの最も重要な公理ともいうべきモジリアーニ・ミラー理論(いわゆるMM理論、Modigliani and Miller 1958)の第一命題では、「完全な資本市場においては、資金調達方法は重要ではない」とされている。すなわち、税金や契約コスト等のない効率的な経済社会では、資金調達方法は資本金であれ負債であれ、企業価値には影響を与えないとされる。そうであれば、逆に、不完全な資本市場、すなわち、税、倒産コスト、契約コスト等が存在する実社会では、資金調達方法の選択が重要であるということを示している。
同様に、完全資本市場下ではデリバティブ取引は裁定取引が起こらないということを前提とするため、そのヘッジ効果とヘッジ対象の原資産価格変動が相殺されることになって、企業価値には影響がないとされる。たとえば、次のような議論が可能とされる(花枝2002など)。「完全市場では、ヘッジを行って成功した場合と失敗した場合の合計のキャッシュフローの現在価値の和は、ヘッジをしない場合の(キャッシュフローの)現在価値の和と同じになる。また、ポートフォリオ理論では、完全市場を前提として投資家は十分な分散投資を行なうことで(投資対象の)各企業の個別リスク(unsystematic risk; アンシステマティック・リスク)を除去できるので、個々の企業自身のリスクヘッジは意味がない。また、完全市場では個別企業が行うリスクヘッジを投資家もゼロコストで取り扱い可能なため投資対象である個別企業のリスクヘッジは無意味である。」
これは完全市場という空想の世界での議論であるため、やはり実社会では、それとは違って、ヘッジ取引が企業価値を高めるのだろうとして、以下の議論を喚起してきたのである(花枝1996など)。
そして企業がリスクを「ヘッジすべき」とされる具体的な理論的根拠は以下の通りに分類されると考えられる。

イ)税引き後企業価値の期待値の向上
ロ)ディストレス(財務状況悪化)リスクのヘッジ
ハ)ステークホルダーの収入安定化による企業価値の向上
ニ)安定的な内部資金を保持することによる投資促進(過少投資問題の解決手段)
ホ)エージェンシー・コストの抑制(資産代替問題およびフリー・キャッシュフロー問題の解決手段)

そして、別の回で説明するが、筆者は、ヘッジは「自己資本の解放による企業価値向上」および「企業経営指標EVA・ROEの向上」にも直接的につながると考える。
このうちイ~ハを示したのが、Smith and Stulz(1985)である。この論文が、なぜ企業はリスクヘッジすべきなのかというテーマに関するファイナンス理論の本格的な出発点であり、いまに至るまでその中心的地位を占めているといえる。

2.税引き後企業価値の期待値の向上

「企業価値」を算出する方法としては幾通りかある。たとえば、株式時価総額と負債を合計したものや、当該企業の産み出す将来キャッシュフローの現在価値および非事業資産の合計などである。いずれにせよ、将来における税引き後の利益見通しが最も重要なファクターになる。
企業利益が上がらないと企業価値は上がらないので、企業利益の向上は企業価値向上に直接つながる。累進税率制度下であれば、その税負担は下に凸のグラフ(図表1)になるため、税引き後収益は上に凸のグラフ(図表2の太線)になる。

(図表1)累進税率制度

税引き前利益が振れると、税引き後の利益の期待値(図表2の破線)が、税引き前利益の振れない場合の税引き後の利益を下回ってしまう。したがって、ヘッジを行うことで税引き前利益の振れを抑制することで、税引き後企業価値を高めることができる。たとえば、図表2で見ると、税引き前の利益がbからdまで振れると、税引き後の企業価値期待値(正確には将来における複数年の税引き後利益の現在価値)はqであるが、税引き前利益をヘッジ(図の大きな矢印のイメージ)によってcに固定すると税引き後の企業価値はpになり、qより大きくなる。

(図表2)【Smith and Stulz1985】の示した企業価値とリスクの関係図

(参考文献)
花枝英樹「なぜ企業は財務リスク管理を行うのか」『一橋論叢』1996.5
花枝英樹『戦略的企業財務論』東洋経済新報社、2002年
Modigliani, Franco and Merton Miller, “The cost of capital, corporation finance and the theory of investment,” American Economic Review, 1958, Vol.48, 267-297.
Smith, Clifford and Rene Stulz, “The determinants of a firm’s hedging policies,” Journal of Financial and Quantitative Analysis, December 1985, Vol.20, No.4, 391–405.

◇客員フェロー 福島良治

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