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諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第8回 ~90年代後半 相次ぐ市場混乱、激動の始まりとしての1995年~
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90年代後半 相次ぐ市場混乱、激動の始まりとしての1995年

1990年代後半とはどういう時代だったのか

90年代後半ほど様々な出来事が詰まった激動の5年間はなかったのではないか。ヘッジファンドは90年代前半から活躍しはじめ、90年代後半に隆盛を極めた。当時は大鑑巨砲、戦艦大和のような巨大ヘッジファンドが跋扈していた。米国はドル安政策のリスクを思い知らされ基本的に強いドルを志向するようになり、ドル安からドル高に大転換。かつてないドル買い協調介入が実施された。経済面では、冷戦終結のおかげもあり、情報通信技術の民間利用が広がりEメール、インターネットが急速に普及し始めたのも大きな変化だ。情報流通のスピード、ボリュームの飛躍的増大は金融市場に大きな影響を与え、おそらくは相場変動のスピードや変化幅を増大させるなど変質させたのではないか。そして米国ではITバブルが醸成され2000年にかけて頂点に向かった。
日本では95年1月に阪神大震災、3月にオウム真理教事件と、不穏ななか90年代後半の幕を開けた。ドル円相場は95年4月の80円割れの超ドル安円高をつけ、その後わずか3年あまり、98年8月には147円台へ大幅な円安が進んだ。未曽有の金融危機・金融機関の破綻が生じ日本の金融システムは混乱、日本売りが激しさを増した。日本の金融不安と同時並行的に97年7月にはアジア通貨危機が発生。98年にはロシア危機、その結果秋に巨大ヘッジファンドが破綻、ドル円相場は99年初には110円割れまで一気に円高が進んだ。日本企業は円相場の急落・急騰に翻弄されながら、日本の金融機関の脆弱性に怯え、またアジアに展開していた製造業は対処に追われた。香港が中国に返還されたのも97年7月1日。様々な困難を乗り越えて欧州統一通貨ユーロが誕生したのが98年1月1日。
あまりにも同時並行的に様々なことが発生し、市場は大きな混乱期にあった。金融市場や相場変動リスクについて対処することの重要性、市場分析やリスクヘッジの重要性が認識された時期でもある。経済学の分野でもあらたな動きがみられた。今では広く知られる行動経済学が様々な研究成果を踏まえ世に出始めた。人間の心理を組み入れ、経済主体の非合理的な行動を踏まえた理論は、金融市場の分析に非常に有効、かつ斬新な思考枠組み思考軸を与えてくれた。

激動の始まりとしての1995年

1990年代前半の日本経済はバブル崩壊の只中にあり、金融機関は不良債権問題への対応を迫られ、企業は財務戦略の見直しを余儀なくされていた。内需は一気に低迷。外需依存となるなか、日本の貿易黒字は大きく膨らんだ。企業や機関投資家は海外投資を引き揚げ国内に回帰、あるいはリスクをとった海外投資を手控えたことから、直接投資・証券投資による資本の海外還流は失速。その結果、貿易収支、資本収支、両面から強い円高圧力がかかる状態となった。国内景気が低迷し経済主体が体力を削がれるなか、むしろそれが主因となって、強力な円高の逆風に見舞われることになった。国内経済の疲弊、投資家と企業のリスク回避が円高を招く。こうした経験からひとつの条理のようなことを学んだ。為替相場は、好都合な方向には動かず、得てして事態を悪化させる方向、嫌な方向、逆方向に向かう、というものだ。そしてその経験則、考え方は今も相場をみる際の基本的ピースの一部となっている。足元で資源価格が高騰し、資源の大半を輸入に頼る日本にとっては円高、円の購買力が強いほうが好ましいはずだが、むしろ資源価格高騰が故に円安が進むということは当時の裏返しのように感じられる。しかしそういうもので、ゆえにスパイラル的な円安を懸念していたが、現実のものとなった。
急激なドル安円高の背景には、このように、日本の景気動向、マクロバランスが、為替需給面から大きく円高サイドに傾いていたことがある。しかしさらに大きかったのは、日米貿易摩擦の激化だ。米国経済・米国企業はなお苦戦しており、FF金利は89年には10%に迫っていたが、93年には3%まで低下。ようやく失業率も改善し始めていた。93年初に就任したクリントン大統領は対日貿易赤字を問題視し、日本に内需拡大や市場開放を強く迫っていた。日米自動車交渉は厳しさを増し、米国では通商301条の適用により対日圧力を強める動きが活発化した。301条は、不公正と判断された貿易に対して、相手国と協議すること、さらに解決できない場合には米国が制裁措置を発動できることなどを定めた法律。大統領の補佐機関であるUSTR(米通商代表部)が調査・判断し、議会の承認を必要とせずに制裁措置の発動を大統領権限で行うもの。トランプ大統領がこれを用いて対中制裁を実施したことは記憶に新しい。さらに為替相場も貿易摩擦解消の道具として使うスタンスが明確で、米国政府要人からは円高容認発言が頻繁に発せられた。そうしたことも急激なドル安円高が進んだ要因となった。為替相場を通商交渉・貿易不均衡改善の手段として使うという、今では禁じ手のようなことが平然と行われていた。
しかし円高誘導、ドル安誘導が過ぎて、かえってドル資産への懸念が発生。米国ではすでに利上げが実施されFF金利は3%から6%に上昇していたが、これが米国債・株式の下落を招いた。さらに中南米の対外債務に対する不安も高まりドルの信認が脅かされる。そうしたなか、1995年4月下旬にG7が開催され、為替相場の秩序ある反転が望ましい、との共同声明を発表。日本政府は対外投融資促進策を発表。と同時に大規模なドル買い円売り介入を実施し、ドル円相場は急速に反転上昇した。ドル円相場が歴史的ドル安円高をつけ、さらに大転換した、記憶に残る値動きとなったのが1995年だ。

放たれた金融再編の嚆矢、そして為替アナリストに

1995年初、自分はまだ本店営業部に勤務していた。その1月に阪神大震災が発生、3月には都心でオウム真理教が地下鉄でサリンをまき散らす事件を起こした。景気低迷、地価下落、不良債権の不透明感、金融機関の体力への不安が高まるなか、さらに不安心理が掻き立てられた。ドル円相場は100円を割り込んでなんとかこらえていたものの、春先に急速にドル安円高が進み、4月にはついに一瞬80円を割り込んだ。営業部には為替相場や株価動向を表示する電光掲示があったが、それをみながら輸入サイドの顧客にドル買いのチャンスと電話をかけていた。
それに先立つ3月28日午後。日経新聞が衝撃的なスクープを放った。三菱銀行と東京銀行が合併に合意、というのだ。三菱銀行に勤務していた自分はもちろんかなり驚いたが、一方でついに来るべきものがきた、という感覚や、また安堵もあった。どうせどこかと合併するなら東京銀行で良かった、と。80年代後半からの金融自由化、金融規制緩和の流れのなかで、金融機関の業態の垣根は実質的に崩れていた。都銀13行、長信銀3行、今では信じられないほどの数の大手銀行が、大蔵省・日銀のもとで、規制に守られながら護送船団方式で歩み続けることには無理が生じていた。都銀の一角である東京銀行は外国為替銀行法のもとで制限的に業務を行っていたが限界が生じていた。長信銀についても長期信用銀行法という枠がはめられており、それゆえに無理な融資が不良債権の増大をもたらしていた。そこにバブル崩壊による不良債権処理に追われて、体力勝負の様相を示し、業界再編や合併は必至ともみられていた。合併は1年後の1996年4月1日とされた。当時担当していた三菱商事にも当然、東京銀行の担当者は出入りしていた。三菱銀行はメインバンクではあったが、国際業務に強い東京銀行は、三菱商事との取引、とくに自分が担当していた為替部においては一日の長があった。個人的には不安もあったが、銀行全体をみれば国際部門が飛躍的に強化されることは非常に良いことだと思われた。
3月下旬に合併がスクープされ、4月にドル円相場が80円割れの超ドル安円高をつけ、そしてその5月に、自分は営業部から資金為替部(当時)に異動を命じられた。1年後に東京銀行との合併がすでに決まっているなか、東京銀行の本丸である外国為替部門に異動となったわけだ。当時、法人取引の担当を続けたいと考えていた自分にとっては晴天の霹靂であり、また市場分析チームということも想定外。当時、営業部の担当者として三菱商事の為替部、ディーリング部門も担当していたが、為替市場の分析チームに異動します、と伝えたところ、お前がやるの?できるの?と、本当に驚かれた。当時の資金為替部の市場分析チームのチーフは現在SBI証券の北野さん。そのもとで、欧州通貨を主に担当することになった。欧州では、1979年に欧州通貨メカニズム(ERM)が導入され域内通貨間の為替変動幅を抑制し安定させる試みが行われていた。1992年にはマーストリヒト条約が締結されて現在の共通通貨ユーロの創設に動きだしていた。しかし1992年にジョージ・ソロス氏がポンドに売り仕掛けを行い、離脱を余儀なくさせた。またその他通貨も収斂基準を満たせないのではないか、との見方から売り込まれ変動幅拡大に追い込まれるなど、なお1999年にユーロが成立するのか疑問視されるような時期だった。当時は欧州に、ドイツマルク、フランスフラン、スペインペセタ、イタリアリラ、など各国別に幾多の通貨が存在。それぞれの国のマクロ経済動向、金融市場、為替レートを追いかけ、ユーロの成否を見極める困難な作業だった。それが為替アナリストとしての駆け出しだ。
その後の混迷の時代がどのような相場となっていたか、企業や投資家はどうしていたのか、などについての話は、また次回以降としよう。

◇MRAフェロー 深谷幸司

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