リスク管理最前線 第26回 〜リスク管理態勢強化と独立したリスク管理部署の重要性〜
- 欧米金融機関の現場から
- リスク管理コラム
リスク管理態勢強化と独立したリスク管理部署の重要性
前回まで主に最先端の金融機関におけるリスク管理について、主に市場リスクの観点から、リスク管理の枠組みや経営陣の役割、リミット管理、バリュー・アット・リスク(VaR)やストレス・テストなどのリスク定量化手法、自己資本評価等の総論的なテーマと、金利、クレジット、為替、株式、コモディティ等各金融商品市場の各論的なトピックスをご紹介してまいりました。しかしなぜそこまでしてリスク管理態勢を強化し高度化する必要があったのかという点について、あくまでも金融機関特有の事情で一般的な事業会社には当てはまらないと思われる向きもあるかもしれませんが、必ずしもそうではないというところを今回はお話ししたいと思います。
リスク管理態勢強化が金融機関に特有と考えられる理由として、まずは規制が厳格という点が挙げられます。2008年のリーマンショックによる金融危機以降、同様の事を繰り返さぬよう、各国の金融行政及び監督官庁が金融システムの健全性、安全性を強化すべく、新しい規制が相次いで導入されました。米国では金融機関の自己勘定ポジションを大きく制限するヴォルカー規制が導入されるとともに、ストレス・テストをベースにした自己資本充実度の定期的な評価も義務付けられ、主要先進国もこれに倣いました。結果的にリスクが低減し、自己資本が増強されたため、金融システムの健全性が強化されました。しかし事業会社においても経営の健全性や安定性はやはり重要な課題であり、同様にリスク管理態勢を構築する必要はあると言えます。
また金融機関は抱えるポジションのリスクが複雑で大きいからだという意見もあります。金融機関は金融市場で膨大な量の取引を行いつつ、市場に流動性を提供する中心的な役割を果たしています。厳格な規制の元、リスクを詳細に把握し、適切に管理することを求められていますが、扱う商品は多様で、かなり複雑な取引を含むレバレッジの効くデリバティブ取引等を駆使しているため、必然的にリスク管理も高度化せざるを得ません。しかしこれも金融機関に限った話ではなく、同様のことは事業会社にも当てはまります。原材料調達や設備投資を行い、製品等の販売やサービスの提供を行う中で、収支に影響のあるリスク要因を把握し適切に管理することは、やはり重要な経営課題と言えます。
リスク管理部署が管理部門として、事業執行部門から独立した権限が与えられている背景には、執行部と管理部門のインセンティブの違いがあります。企業文化やポリシーによって状況はかなり異なりますが、事業執行部門は利益の最大化を第一目標に掲げることが多いと言えます。私が身を置いていた外資系投資銀行においては、事業執行部門のスタッフの報酬体系は、部門あるいは個人の業績によって大きく変動する仕組みとなっていました。したがって、事業執行部門は超過的なリスクをとって利益を追求するバイアスがどうしても生じます。目論み通り利益を上げることができれば報酬が大きく増加する一方、失敗して損失を出しても、報酬が減り、最悪責任を問われ職を失う場合もあるかもしれませんが、それでも個人的に損失を補填することはないからです。アップサイドが大きく、ダウンサイドが限定的なので、そのインセンティブはオプション取引に例えて、「コール(オプション)のロング(買い)」と揶揄されることがあります。
一方リスク管理部門は、経営が揺らぐような大きな損失を避けることが第一目標に掲げられる事が多いと言えます。外資系投資銀行において、リスク管理部門のスタッフの報酬体系は比較的変動が少なく、業績には極端に左右されない仕組みとなっていました。ただしリスクが具現化し、大きな損失が生じた場合には、やはり責任を問われる場合があります。アップサイドは限定的ですが、ダウンサイドは比較的大きいので、そのインセンティブはオプション取引に例えて、「プット(オプション)のショート(売り)」と揶揄されることがあります。
経営としてはリスクとリターンのバランスを達成する必要がありますが、独立したリスク管理部門に権限を与えることにより、事業執行部門を牽制し、そのバランスを実現しようとしています。
近年持続成長可能な経営の健全性に対する社会的な要請が強まっていることも、リスク管理の重要性が高まっている理由です。ESG投資という言葉をよく耳にするようになりましたが、これは企業の目先の収益性にとらわれるのではなく、環境的要因、社会的要因、コーポレートガバナンスを中長期的な成長に不可欠な要因として企業評価する動きと捉えています。リスク管理態勢の強化はこの要請に応えるための一つの重要な要素であり、経営課題として取り組む事が求められるようになってきています。
リスク管理が注目されるようになり、リスク管理専門部署が本格的に設置されるようになったのは、ここわずか20年間程度のことであり、経験の蓄積も専門家もまだまだ不足しているのが現状ですが、今後試行錯誤を繰り返しながらも、発展の余地は大きい分野と言えます。
◇MRAフェロー 伊東啓介