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諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第4回 ~プリミティブな日本の金融市場とバブル経済~
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プリミティブな日本の金融市場とバブル経済

プリミティブな円債市場

80年代半ばは日本にとって市場の幕開け、実質的な為替市場、円相場の始まりとなった。為替市場にとっては実需原則の撤廃が大きい。これにより投機的な売買もできるようになり市場の厚みは増した。また内外資本移動も活発化し始めた。為替相場に影響を与える需給が貿易収支のみならず資本収支、さらには投機取引にまで広がっていった。

その資本動向を左右するのは金利だ。当時は政策金利の動きはなお緩慢で、短期金融市場の金利変動は限定的だった。その結果、投資家にとっては、景気や物価、金融政策スタンスの微妙な変化、それらを巡る様々な思惑や将来予測、売買需給を反映する債券市場(=長期金利)の動向が重要となった。80年代半ば、金融自由化や「外圧」によってその円債市場も変化しはじめた。しかし市場はなお未成熟であり様々な問題が生じた。マクロではバブル経済生成とも無縁ではない。

自分は84年4月に下町の三菱銀行竹町支店に配属となり、85年4月から貸付課でプラザ合意と金利自由化に翻弄されていた。市場や金利変動の理解が企業に対する財務アドバイスに不可欠ということは理解できた。87年5月に希望が叶い証券業務へ異動。ただ異動先は企業の資金調達にかかわるプライマリー=発行市場ではなく、セカンダリー=流通市場、円債ディーリング部門だった。

その3年前、1984年6月に銀行に対して公共債(国債・政府保証債・地方債)のディーリングが認可されていた。それまで銀行は自己の投資勘定において資金運用として債券を保有していた。それとは別に、証券会社と同様、債券取り扱い業者として顧客に対する店頭売買や自己売買が新たに認められていた。

配属された債券業務グループ・現物債チームは債券営業担当から来る顧客投資家からの引き合いに応じるとともに、手張り、つまり自己売買ディーリングで値鞘を稼ぐチーム。 配属されてすぐに「野村とは売買するな、話もするな」と指示された。
今では信じられないことだが、債券市場では「仕手戦」が繰り広げられていた。野村証券が「軍団」を組成。配下に第一勧銀、富士銀などの都市銀行、さらに幾多の地方銀行、信連など系統金融機関を従えて、一団となって債券を買い上げていた。当時の公定歩合が2.5%のところ、10年国債指標銘柄(最も売買の多く流動性の高い長期国債)が買い進まれて2.55%まで利回りが低下。公定歩合とニアミスとなった。ゼロ金利の今では不思議ではないが当時は大事件だ。
異常な債券買い上がり=長期金利低下に三菱銀行の債券ディーリングチームは違和感を抱き、長期金利の反転上昇リスクを睨んで真向から対立。買い本尊強気の野村証券(+軍団)vs売り本尊弱気の三菱銀行、という構図となっていた。

当時、現物債は日本相互証券(BB証券)が業者間取引を仲介していた。専用端末の画面で売り板・買い板情報は提供されていたが、売買する際にはBB証券の担当に電話をして端末をたたいてもらう、というシステム。画面をみて電話しても間に合わず、何ページめくっても「軍団」に買い占められて売り物がなくなっている、ということもあった。国債先物は85年に東京証券取引所に上場されていたが、こちらも「場電」つまり黒電話でフロアの担当に電話して、売買をしてもらった。ただしばしば「板寄せ」、買いの手や売りの手が殺到して捌けずに取引が一旦停止する事態が頻繁に生じていた。長期金利の形成は極めてプリミティブな環境でなされていた。

経済金融市場でのバブル生成

円債市場で「野村軍団」が跋扈する背景には異例の長期にわたる金融緩和があった。85年のプラザ合意で一気にドル安円高となったことで、輸出主導で成長してきた日本においては「円高不況」、景気悪化に対する懸念が強まった。輸出産業には大きな痛手となり雇用が悪化した。

ただ内需依存型、輸入型の産業はあまり影響を受けず、景気には二面性があった。確かに、下町・竹町支店界隈は輸出企業よりも輸入関連の中小企業が多い地域。大手製造業の下請け企業がなかったために、自分の担当先は短期的な為替リスクコントロールや価格変動への対処で苦労はしていたが、致命的な打撃を受ける企業は少なかった。日本経済を牽引する大手製造業を中心とする産業界、政策決定に影響力あるステークホルダーとは異なる景色が広がっていた。

1985年9月のプラザ合意の後、景気悪化懸念が急速に高まるなか、ドル円相場が当面の目標ラインとみられていた190円を割ってきたことで、日銀は86年1月末に公定歩合引き下げ、5.0%から4.5%への利下げを実施。その後も0.5%ずつ利下げを実施して87年2月には2.5%に急低下していた。加えて政府の景気対策、公共投資も増加。そもそも内需型産業に痛手が少なかったなかで景気は早期に底打ちした。内需主導型経済への移行は、マクロの貯蓄投資バランスから経常黒字の縮小をもたらす。それこそ日米貿易摩擦が激化するなか政府が目指すところ。強い内需に対する異論が出にくい状況ではあっただろう。

ただそれでも景気過熱・インフレの気配に日銀は87年の秋には利上げに転じようと意を決していた。しかしその矢先に米国で生じたのが87年10月のブラックマンデー、米国株式市場における大暴落だった。

プラザ合意以降、日米独が政策協調、とくに金融政策協調により、ドル高を是正、その後はルーブル合意でドル急落に歯止めをかけ安定を図った。ドル急落の予防としてFRBは利上げを実施。しかし貿易収支の大幅赤字が続いた。市場はさらなるドル安予防のため利上げを実施するとみて株価が暴落した。これで日銀は利上げができなくなってしまったのだ。国際協調の落とし穴、国内事情だけで金融政策を決定できないことによる弊害が顕在化した。利上げ・長期金利上昇を見込んでいた三菱銀行債券ディーリング部門にとっては突然の逆風。野村軍団はほくそ笑んだことだろう。

ただ、ゆがんだ債券相場には収益チャンスもあった。外国証券にも東証会員権が開放されたことで彼らも債券先物取引が可能となった。現物債と先物の裁定取引に長けた彼らが大掛かりにポジションを構築。利益を上げるとともに、現物債を買い上げるなどで歪んだ価格形成を正常化することに寄与し始めた。これが債券バブルの終焉にも寄与した。80年代の米国ではこうした裁定取引を中心とするヘッジファンドが創世期にあった。

当時としての超低金利が長期化、財政支出で景気持ち直し。株式市場にとっては絶好の機会だ。加えて、85年に日本が世界最大の債権国となったことが86年に入って明らかとなったことで、株式市場では「債権大国相場」なるテーマが喧伝された。

超低金利は株価のみならず住宅市場にも火をつけた。70年代の日本列島改造論で不動産ブームを経験していたが、その再来を囃した。ウォーターフロント、東京の湾岸地域がブームに。そこに不動産を保有する企業の株が買われた。保有不動産を時価評価して実質PBRでまだ割安だ、と買いが煽られた。

すでに86年頃には竹町支店界隈にも地上げ屋が徘徊し、ぱらぱらと虫食いのように空き地が出始めていた。自分が債券ディーリングに従事する間にバブルは頂点へ。地価高騰は郊外・地方へ波及していったが、その後の惨憺たる状況は記すまでもない。バブル潰しのため超金融引き締めへ。日本の金利が大きく変動した。

甘かったリスク管理、体制・システムの未整備

残念ながら、債券ディーリングの世界でも長期金利急騰、債券急落によって、実際に死者が出た。某中堅証券の課長が自ら命を絶った。某都銀では若手が同様の道を選んだ。

まだまだ銀行や証券会社ではリスク管理、ポジション管理、がシステム的にできていなかった。そのための悲劇。プリミティブな市場、相場の荒波、債券バブルの崩壊(長期金利の反転急騰)が株式バブルの崩壊に先んじて発生。金融引き締め、利上げ、で株式市場のバブルが崩壊するのはその後だ。リスクポジションのリアルタイム管理、ポジションリミットの厳守、フロント、ミドル、バックオフィスによる役割分担とミドル、バックによるフロント牽制体制がまだ確立途上だった。

企業では「財テクブーム」が生じていた。87年9月、10月に生じたブラックマンデーの直前には「タテホショック」が生じた。当時、その名を聞いてもまったくピンとこなかったが、関西の上場企業、タテホ化学工業が債券投資の失敗で200億円近い損失を出し債務超過に陥ったというのだ。事業会社が、比較的安定的な債券投資で、巨額損失を生じたことはいかに債券市場がバブルだったかを裏付ける事件だ。

またこの際に事前に株式を売り抜けるインサイダー取引も問題となった。株式投資においてはさらに事業会社によるハイリスク・ハイリターンの取引が蔓延した。株高を背景にエクイティファイナンスを行い、ゼロ金利ないしマイナス金利で資金を調達。それを特金・ファンドトラストなどで株式運用につぎ込んだ。本業による営業収益よりも営業外収益が目立ち、財務部門がひとつの収益部門として大手を振るようになっていた。

リスクシナリオは軽視されていたがその後は推して知るべし。バブル崩壊で企業は本業回帰。財務部門の仕事が反動で管理に集約されていった。あたかもリーマンショックの後で、銀行員の仕事をつまらなくする、として規制が強化された流れに似ている。バブル生成と崩壊、規制強化は「不易」な現象だ。

◇MRAフェロー 深谷幸司

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