諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第2回 ~固定相場から変動相場へ~
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固定相場から変動相場へ
ニクソンシックの時代背景
話は再び50年前に戻る。1971年8月のニクソンショックは、変動相場の始まり、変動相場制のきっかけだった、といって良い。ただもう少し俯瞰的に、その後の推移や現在から振り返り、再評価、意味づけ、今に活きる経験や相場の見方は何か、を整理しておくことは役に立つ。1971年、自分はまだ小学校5年生だったが、ただその前後のいくつかの「事件」「画像」は鮮明に記憶している。アポロ11号の月面着陸、東大安田講堂に放水する機動隊、大阪万博、そしてオイルショックでトイレットペーパー枯渇・・・。世界全体は、今の安定した状況から振り返れば信じられないほど、活力に溢れつつ混乱にも満ち、秩序が揺れるカオスだった。
ニクソンショックは第二次世界大戦後から60年代にかけての、共産主義・社会主義陣営と資本主義・自由主義陣営の覇権争い、東西冷戦が大きく影響した。自由主義陣営の盟主である米国は60年代に入るとベトナム戦争へと突入。米国では戦況の泥沼化とともにベトナム反戦運動が激化。日本でも左翼を中心とする反政府・反米運動が、60年安保闘争、ベトナム反戦運動、大学紛争、へと先鋭化していった時期。内外で民衆が政権・権力と対峙する「政治の季節」となっていた。
こうした状況が国際経済体制・秩序に綻びをもたらしたのがニクソンショックだ。国力を次第に削がれていく米国と勃興する日本との間で、経済対立は次第に先鋭化していった。米国では1968年にベトナム戦争終結を唱えるニクソン政権が誕生。反戦運動の拡大で混乱する傍らで、戦費拡大により財政は大きく悪化しインフレも高進。景気低迷とインフレが併存するスタグフレーションに陥った。貿易収支はついに赤字化し、財政赤字・貿易赤字の双子の赤字でスタグフレーションに陥った米国経済、ドルへの信認が崩れ始め危機を迎えたのが71年だ。
一方の日本経済は朝鮮戦争による特需を経て1960年代に高度成長期を迎えた。鉄鋼、造船、石油化学、自動車、機械など、重化学工業、重厚長大産業の成長で、輸出主導型経済成長が確立した。貿易収支は黒字化し拡大傾向を示していた。1964年の東京五輪開催を機にインフラが整備され、70年には大阪万博開催された。日本経済がここまで台頭すれば、それまで甘くみてくれていた欧米各国が黙っていないもの無理はない。とくに米国からすれば面白くないのは当然だ。日米間では1969年にベトナム撤退を前提に沖縄返還交渉が始まったが、米国は交換条件として繊維製品の自主規制を求め、これを日本が1971年2月に飲んで、ニクソンショックの直前の6月に返還協定が調印された。またベトナム戦争終結のために中国との関係改善も必須だったことから、密かに中国と交渉のうえ、1971年7月に翌年に訪中する旨を突然表明した(ニクソンショック第1弾)。経済立て直しの決め手が8月の新経済政策、金とドル兌換停止の発表、経済金融面でのニクソンショック(第2弾)だ。それまでは第2次世界大戦後の国際金融体制である「ブレトンウッズ体制」が保たれていた。ドルと金は金1オンス=35ドルの固定レートで兌換可能。そのうえで、各国通貨はドルに対して固定相場制となり、円相場は1ドル=360円に固定されていた。グローバルな金・ドル本位制だがそれが崩れた。為替相場はどのように決まるのか、固定相場から変動相場へ暗中模索が始まった。
ニクソンショックのインプリケーション
ニクソンショックは固定相場から現在の変動相場への起点となった。またドル通貨発行量が金保有量という制限から解き放たれたことは、経済成長、経済規模が通貨の側面の制約から外れて加速しうる土台となった。こうしたことは事実として、それ以外に経済、通貨をみるうえで重要な、現在にも活きるインプリケーションがある。リスクや考え方の部品を提供してくれる。
まず固定相場は結局のところ維持不可能だということ。米国の経済悪化、対外収支悪化によってドルの信認が崩れたにもかかわらず、金とドルは固定相場で交換可能だったことから、各国は手持ちのドルを次々に金に交換し始めた。米国の金は枯渇し金とドルの交換は不可能となる。もはや金との交換を停止するか、あるいは交換レートを切り下げるしかない。これは後々、アジア危機の際に対ドル固定相場を維持できなくなったアジア通貨と同様だ。ファンダメンタルズと対外収支が悪化した国の通貨は下落する、固定相場がとられる、ないし管理相場制がとられている通貨には下落リスクが蓄積されている。
貿易収支、経常収支、の需給面での為替相場への影響は今でも活きている。一部の新興国などを除いて、とくに先進国間では資本移動が自由になっており、貿易収支や経常収支の為替相場への影響は相対的に小さくなっている。この点は、金融資本市場が現在ほど発達し巨大化していない当時とは異なる。しかし、現在でも、資本移動が停滞した場合には影響が顕在化する。さらには蓄積された経常赤字、すなわち対外債務も、ひとたび通貨の信認が崩れた場合には通貨安をもたらす。少なくとも新興国通貨についてはリスクに目配りは必要だ。
つぎにインフレ通貨は下落するというセオリー。資本移動が自由な世界では、名目金利が高い通貨に投資資金が流入するために顕在化しない。今ではグローバルにインフレが抑制されており、むしろデフレが懸念される状況であるため、この問題も顕在化していない。ただ新興国についてはなお高いインフレ率も散見され注意が必要だろう。多くの場合、経常赤字と資本流出、通貨安、インフレ率上昇がスパイラル的に状況を悪化させる。
そして通貨は誰が管理するのか、通貨の信認は誰が守るのか。その重要な役割の一翼を担うのは中央銀行だ。国内的な価値という点においては、インフレのコントロールという面で中央銀行だった。ただ対外価値については為替相場が固定相場制のもとでは中央銀行の担当外となる。現在のグローバルな低インフレのもとでは、インフレリスク・インフレ期待が高進せず、通貨供給量が急増しても通貨安につながらない。しかし現在でも潜在的なリスクがある。財政拡大と通貨供給増大、景気低迷と過剰流動性が併存した場合、その通貨は急落するだろう。通貨の信認の維持には、財政・金融・経済政策全般に綻びがないことが重要だ。
そして貿易摩擦。経済覇権争いとともに常に貿易摩擦が生じる。日本は固定為替レートで黒字を稼いだが、同様に「新興国」は常に「条件見直し」に遭遇することになる。ニクソンショック時の繊維交渉に始まり、その後、自動車、半導体、とその時々の主要品目での対立が続く。現在は米中対立が先鋭化しており、日米摩擦がかつてたどった道だ。ただ日本が米国に従わざるをえない立場にあるのと異なり、そもそもの自由主義・資本主義陣営と社会主義・共産主義陣営では飲む飲まないの交渉は難しく、国際ルールが通用するかどうか。
最後に、オイルショックによる狂乱物価にも、ニクソンショックの影響があった。日本が稼いでいた黒字は主に商社にドルとして溜まっていた。ドル円相場は360円の公定相場であり円転する必要はなかったためだ。しかしドル急落に際し、日銀がドル買いに回ったことで商社は大量に円資金を手にした。日銀のドル買い介入が円資金供給となり過剰流動性の一助となった。そこに田中首相の日本列島改造論が加わり不動産価格が高騰。円高による景気悪化を防ぐため金融緩和に動いていた。そこにオイルショックが加わって、一気に狂乱物価が発生した。今は為替介入は実施されずに久しいが、自国通貨売り介入が市中への資金供給となる点は気に留めておくべき点だろう。
◇MRAフェロー 深谷幸司