諸行無常の為替市場・不易流行の相場分析 第15回 ~為替市場分析体制のグローバル化~
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為替市場分析体制のグローバル化
旧三菱銀行の市場分析のノウハウ~債券部門から為替部門へ
旧三菱銀行は邦銀のなかで最も早く、市場分析チーム、すなわちマーケットアナリスト、ストラテジストのチームを創設していた。最初は債券ディーリングルームにおいて1980年代後半に、次いで外為ディーリングルームにおいて1990年代前半に、それぞれ産声を上げた。為替部門の調査分析チームは、債券ディーリング部門の市場分析チームに所属していたメンバーが転勤異動するかたちでスタート。その意味で始祖は債券市場分析チームにあった。銀行の市場部門におけるディーリング業務は外国為替が先行し、債券は80年代に認可された後発業務だったことと比べると後先が逆になる。もっともディーリングではなく債券ポートフォリオの運用となると業務の歴史は古い。
外国為替業務が銀行の本来業務だった一方、債券ディーリングは証券業務であり銀行の本来業務とはいえなかった。しかし金利動向に応じて資金調達運用を行うのは銀行の本来業務であり重要な収益の源泉だ。三菱銀行の外国為替部門の名称は「資金為替部」であり「資金」が名称の頭にあった。為替売買益も重要ではあったが、ディーリングによる収益はいわば「水物」で不安定とみられ、外貨資金ポジションの収益が重視されていた。ちなみに、東京銀行と合併した東京三菱銀行では名称が「為替資金部」と東京銀行における部署名に改められ「為替」が前になった。東京銀行が外国為替専門銀行であり日本における外為業務の雄、かつ為替売買益が大きかったことの表れだろう。合併時に生じがちな主導権争いの一端だったかもしれない。
債券部門は、旧三菱銀行においては「資金証券部」のもとで、短期資金の調達から、銀行本体の巨額のポートフォリオ運用が行われていた。債券ディーリング業務はその後に解禁された業務だが、債券取引のノウハウはポートフォリオ運用に携わる債券投資グループに蓄積されていた。マクロ分析、金利動向分析、などファンダメンタルズ分析、さらにテクニカル分析のノウハウまで。今ではテクニカル分析の本は書店に山ほど並ぶが、当時はほとんど見かけなかった。そうしたなか、ポートフォリオ運用の担当課長が自らケイ線分析の指南書を作成し後進の指導にあたっていた。酒田五法によるロウソク足分析、ポイント&フィギュアの解釈、上昇下降トレンドの解釈、など、過去の値動きをもとに実践的なノウハウが蓄積され伝授されていた。それらが債券市場分析チームの基礎となり、さらに為替資金部市場分析チームで活かされていくことになる。
東京三菱銀行為替資金部市場分析チーム
三菱銀行と東京銀行の合併時に、そもそも市場分析チームが必要なのか、という議論があったことはすでに触れた。東京銀行の外為部門には市場分析チームがなかったためだ。東京銀行との合併が発表されたのが1995年4月。外国為替専門銀行であった東京銀行は外為業務において外為事務や海外コルレス銀行ネットワーク、一日長ならぬ数日の長があり、その専門性によって、いわば黙っていても為替取引を獲得できた。顧客の為替取引は、投機的な売買でない限り、貿易や証券投資などの実需を伴う。その結果、そうした取引玉の持ち込み量に応じて、為替売買も集まりやすい。貿易は銀行が得意とするところで、外為実需の持ち込みをいかに増やすか。一方、証券投資は証券会社や外資系金融機関が得意とするところ。これにともなう為替玉をどのように取り込むか。付加価値なくして取引なし、ということはすでに自明となり始めていた。
しかし「儲かる外為業務」が様々な銀行の草刈り場となり、とくにシティやチェースなど外銀が東京市場でも大企業取引・外為取引を強化し始めており、もはや悠然と構えていられなくなっていた。金融危機での生き残りという後ろ向きな課題から、海外金融機関との競争という前向きな課題への舵切りが必要となっていた。
為替資金部としては、最終的には、いかにして為替売買のフローの持ち込みを増やすか、シェアを高めるかが課題。為替資金部の市場分析チーム(リサーチ部門)としては、それにどれだけ寄与できるか、が存在意義として問われる。すなわち社外・顧客の評価をどれほど高められるか。有益な情報を提供できるか。先行する外資系金融機関のリサーチに対しどのように対抗するか。その「成績表」として重視されていたのが、当時「ユーロマネー誌」が毎年実施していた外為市場調査の集計結果、顧客評価だった。東京三菱銀行は東京市場において、やがて外資系と互角に戦いトップ争いができるようになっていった。
こうした積極的かつ前向きな「外での戦い」とは別に、当初は「内での戦い」も継続していた。行内におけるチームの存続、基盤強化がなお必要だった。銀行組織内においてなお認知度ないし重要性が十分に認められていない状況をいかに変えていくか。いかに外為営業の現場・第一線にその重要性を認められるか。行きつくところは顧客評価を高めることに尽きた。そのうえでクオリティの高い為替分析情報が他行との競争上、為替玉獲得・外為収益獲得のためいかに重要か、まず理解してもらう必要があった。拡大した顧客基盤の優位性を分析の高度化に如何に融合し相乗効果を生むか、が独自性の鍵となる。
相場分析~3つめのアプローチとしてのフロー分析
市場分析チームは当初企画グループに所属していたが、営業グループへの所属変更を試みた。チームのデスク位置は、インターバンクディーラーの横、セールスチームの近く、に確保した。インターバンク市場の動向と顧客のフローを把握することは相場分析に重要なためだ。インターバンクの売買はすでにEBS(電子ブローキングシステム)に移行しており静かなものだ。したがってディーラーに「場味」、つまり市場の雰囲気をヒアリングする必要がある。一方、セールス担当が顧客との取引をインターバンクにつなぐ際にはオープンボイスであり、どこがどれほど売買しているか自然と耳に入る。こうしたリアルなフローの把握は相場分析において有用だ。セールス担当からのヒアリング、ときに顧客訪問によるディスカッションは、こちらからの相場情報の提供と顧客サイドの考え方、相場観のヒアリング、という双方向。そのなかから相場予測のヒントが得られる。
ファンダメンタルズ分析、テクニカル分析、のふたつの切り口が一般的な相場分析のアプローチ。いずれもマクロのアプローチといえる。ファンダメンタルズ分析は景気物価金利や対外収支など「為替市場の外のデータ」をもとに分析予測する。一方、テクニカル分析は値動きだけに着目する分析であり「為替市場の内のデータ」に基づく分析だ。したがって、ファンダメンタルズの変化が「為替市場の外から」相場変動要因となり「チャートをブレークする」という事態が生じる。
これに対し、ミクロ分析がフローの分析だ。為替市場において実際に生じている売買のフローを分析することによって相場変動を分析予測しようというアプローチ。確かに為替市場のフローをすべて把握することは不可能ではある。ただ多くの顧客、日本の輸出入企業、海外の輸出入企業、国内投資家、海外投資家、ヘッジファンド、など幅広い顧客との取引を極力多く取り込むことにより、最大公約数的にフローを把握し相場予測に役立てようというアプローチだ。
顧客基盤の拡大と市場分析・予測の精度向上は相互依存関係あるいは相乗効果をもたらす。国内金融機関においては優位性があっても、為替市場はグローバルなマーケット。外資系金融機関が大きくリードしていた。米銀ではJPチェースやシティバンクが、欧州銀行ではドイツ銀行が為替市場を席巻していた。チェースやシティはドル決済の中心にあった。基軸通貨であるドルのフローを把握できる地位にある。ドイツ銀行は欧州のみならず米国でも企業・投資家・ヘッジファンドの顧客を幅広く抱えていた。相対的にグローバルのフローを把握しやすい立場にあった。
特異な地位にあったのがステートストリート銀行(信託銀行)だった。同行はグローバルカストディ業務を行っていた。カストディ業務とは、投資家に代わって株式や債券などの有価証券を保管・管理する業務。投資家の指示によって有価証券の売買・移管・資金決済を行う。それをグローバルに行っているのがステートストリートであり、この分野ではグローバルでトップ。内外証券決済の委託を幅広い投資家から受けており、それに伴う為替の売買フローを把握できる立場にあった。すでに為替のフローにおける市場への影響力では、証券投資など資本取引が貿易取引を上回っており内外証券投資の動向把握は重要となっていた。同行はそうした顧客フローから傾向値を見出し分析し独自のレポートを発行しており、フロー分析としては非常に興味深い内容だった。当時の東京三菱銀行でもカストディ業務を行っておりデータを利用できないか検討したが彼我の違いがあまりに大きく断念。到底真似はできなかった。
かくしてフロー分析は、ファンダメンタルズ分析、テクニカル分析、それらに基づくフロー予測の確め算という位置づけとなった。
グローバルリサーチ体制
我々市場分析チームの課題・目標は、外為市場におけるグローバルトップバンクのリサーチチームに追随すること、と定まった。なお彼我の違いは大きかったが、まずは基礎作り、いかにデザインしていくか。国内の金融機関、少なくとも銀行には手本はなかった。国内証券会社には株や債券のリサーチはあったが為替のリサーチは参考にならず。そのため外資系金融機関のリサーチの組織やレポートに追随することが第一歩だった。
外銀のリサーチはロンドンないしNYのいずれかにグローバルヘッドがあり、シンガポールがアジアの拠点となって、グローバルリサーチ体制を形成していた。それが横展開とすれば、縦には、経済調査を仕切るエコノミストチーム、債券と為替の分析を仕切るFixed income research、株式の分析を仕切る Equity research、に分かれ、それぞれがグローバル体制をとっていた。レポートは、経済、債券、為替、株式、ごとにリリースされていた。金利をベースに債券と為替は営業部隊が同じ部門に属し、リサーチはそれぞれのセールスにリンクして活動。一方、株式は個別企業や業界の分析となりミクロのため毛色が異なった。取引手数料が明確なのも株式取引が債券取引・為替取引と異なる点だ。
東京三菱銀行には経済調査部門はあったが対外的にマクロ分析レポート、市場部門に有用なレポートは発行しておらず、行内向けとくに経営向けの仕事が中心だった。債券部門は証券子会社に分離しており協働は不可能。そのため、為替リサーチだけが独立してグローバル体制を整えるしかないという状況だった。
幸いに、東京三菱銀行ではロンドンの為替部門にリサーチとして英国人を2人採用した。UBS銀行で為替ストラテジストをしていたシニアがヘッドとなりその下に若手がひとり。手始めにこのロンドンチームと協働することから始める。外銀はロンドンないしNYがヘッドだったが、東京三菱銀行は東京をグローバルヘッドに。グローバルには、邦銀としての特色を生かして独自の日本の情報で外銀と勝負する。国内顧客に対しては海外に強味を持つ銀行として国内顧客に情報を発信する。相場観をすり合わせるためにロンドンと東京のチームで定期的に電話ミーティングを行った。さらにレポートの内容に整合性をもたせるようにした。欧州通貨全般の見通しはロンドンのチームに任せる。アジア通貨については東京が基本的にカバーする。そうしてグローバル体制を整えていった。
さらに双方でクロス顧客訪問を行った。ロンドンのヘッドが東京に来訪した際には、日本の通貨当局、主要な本邦投資家、機関投資家を帯同訪問。逆に東京からは自分が欧米に出張し、海外顧客にロンドンのヘッドと帯同訪問してプレゼンを行った。最初の欧州顧客への共同訪問は2001年3月。スウェーデン・ストックホルムの財閥の本部。訪問前日の日曜日の夜にストックホルムのホテルでロンドンのヘッドと合流。翌日以降は日系企業の多いアムステルダムやロンドンへ。その後も年に1回、北米と欧州を各1週間、合計2週間かけて回る出張を定例化した。欧州では英国中銀や仏中銀など中央銀行に加え日系企業の訪問やセミナーを実施した。ロンドンを基点にアムステルダム、デュッセルドルフ、フランクフルト、パリ、などを回り、北米では、NYを始め、ワシントン、シカゴ、トロント、デトロイト、アトランタ、ロサンゼルス、などへ。欧米出張では中銀、ヘッジファンド、投資家と面談。ディスカッションにより情報を得た。アジア拠点への出張は東京から単独で行った。各国に展開する日本企業に連れてもとより東京銀行はアジア各国に広く拠点展開していたことから、香港、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、を中心に、ジャカルタ、ホーチミン、マニラなどへ半年に1回、10日ほど。アジアでは中銀や投資庁、地元財閥、日系・非日系企業を現地セールスと帯同訪問し情報交換を行った
これらの出張を通じたアウトプット・インプットとロンドンチームとの定期的なミーティングでグローバルリサーチ体制を確立し、東京市場におけるリサーチの独自性を強めていった。
◇MRAフェロー 深谷幸司
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