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【海外でのプレゼン】
  • 新村ブログ《油売りのひとりごと》

シンガポール時代の話。
あのころはみずほ銀行で働いていたのだが
シンガポールではソシエテ・ジェネラル銀行に出向していた。
で、一応どういったトレーディングをしているのか
どうやってコモディティビジネスをやっているかを学ばせてもらった

と、同時に、「何を学んでいるのか?」を報告する必要があったので
毎週月曜日に週報をまとめて東京に送っていた。
これが「雑感」の始まりである。
正確に言うと、「雑感」は私の前々任の人が始めたものであり
私もシンガポール滞在になったので、そのルーチンワークを
引き継いだだけである。
なので、コモディティ業界で地味に有名な(?)雑感は
私が始めたものじゃないんですよね。

ですが、ちょっとでも面白いものを書くと
東京のチームの方々の期待が高まるため
それなり以上に力を入れざるを得なくなったのを覚えてます。
ただ、別にそれなりに力を入れなくても
いろいろなことが起きるので、今ほどネタには困らなかったんですが。

ということで、せっかくのシンガポール時代の思い出
忘れてしまいそうなことやあの時かけなかったこともあるので
思い出したらポツポツ書いていこうと思います。

シンガポールにいたころは上記のようにトレーニーのステータスだったので
いろいろ学ばなければならないのだが
同時に、アジアの周辺国の企業に対して
商品価格変動リスクマネジメントの提案をするのも私の仕事となった。

一番よく行っていたのが、タイとマレーシアだ。
理由はシンガポールから近いこともあるが
原材料調達リスクに晒されている本邦系製造業が多数進出しており
ビジネスチャンスがそれなりにあると思われたためである

で、一度、タイに出張した時のこと
この日は支店の日本人スタッフとともに
とある会社に銅のリスクマネジメントについて提案に行く予定だった
先方も、日本人の駐在の方が出てくる予定、だった。

しかし。

実際にお客さん(車で1時間半)のところに行くと
そこにいるはずの日本人スタッフはおらず
タナポンさん(と、そんな名前だった)しかいない
タナポンさんはタイ語と英語しか話せない
まぁ、いいか。お客さんと会うのが目的なので。

と思ったら、出てくるはずの日本人駐在の人が出てこず
見るからに現地の人っぽい人が出てきた

そう。みずほ側、お客さん側ともに急な用事が入って
日本語が喋れる人が出てこなくなったのだ。
う、仕方ない。英語で説明するか。
しかし、このコラムで説明したようにこの頃まだ相当
英語が不自由だったんですよねぇ...

どうしよう。といっても誰も助けてくれない。
仕方ない。持ってきた資料で説明...。あ、これ日本語版しかないよ。
いや、こういうときのために常に英語で作っておくべきだった。
一応聞いてみよう。

「これ、読める?」
「(タナポンさんも含めて)読めません」

だよね...
仕方ないので英語で説明。
スワップを使うと、既存の調達取引はそのままに
購入する予定の銅の価格を今、決めることができます...
と、説明すると、タナポンさんが私に振り向いてこういった

「本当!?そんな夢のようなことができるなら、私もその方法を知りたい。
 何かの間違いじゃないの?」

いや...いきなり後ろから刺されました...
その提案にきているはずの味方からそのような発言が出ると
もう、これ以上なにも話せないっすよ。

ちなみにタナポンさんは非常にまじめで明るく良い人なんですが
何と言いましょうか、無邪気にやられてしまいましたね...

あ、余白がなくなったので今日はこの辺で。また思い出したら書きます。