【良いことの閾値】
- 新村ブログ《油売りのひとりごと》
今日、午前中にやらなければならないことが出来たので
慌てて朝早起きして仕事して、
「よし!終った!」
と思ったら、雑感書いてねぇじゃねぇかよ...
書きます、考えます。
さて。
一応、日々起きたことをこの雑感に書いておいて
あとでブログに上げて、読みたい人は読んで...
あ、いや、市場のまとめを記録してるんですけれども
使っているブログが私の様なダメ人間に対して
「書くテーマ」
を提供してくれる。ということを最近気づきました
というか、たった今気が付きましたよ。
で。
今回のテーマ「最近あった3つのいいこと」らしいです。
いいことねぇ...3つどころか1つも出てこない。
昔から「だめなこと、危機に陥りそうなこと」を考えるのは得意で
学校の友人からも「よくそこまで絶望的なことを思いつくな」
と言われていて、そうか?と思っていたけれど
こんな会社でアナリストが出来てることを考えると
確かに世の中的には希有なのかもしれません
でも同時に、良いことっていったいなんなんだ?と思うわけです。
宝くじが当たった!彼女が出来た!子供が生まれた!
なんてのは恐らくかなり多くの人が「いいこと」に分類すると思うんですが
これですら「悪いこと」と思う人もいるかもしれません。
例えば宝くじだって
「俺が当たったことを聞きつけて、いろいろな人がやってきて
息子も金にだらしなくなり、家庭崩壊。ああ、不幸だ」
って思う人もいるかもしれないわけです。
となると結局「いいこと」って幸福度の閾値の問題なんだろうと思います。
昔、息子が「学校で夢を持っていないことを叱られる」と言っていて
「そもそも夢は達成し難いから夢と定義されるわけで
その達成が低い事象(夢)を選べっていうのは
例えば弁護士になりたい、野球選手になりたいという
もちろん達成可能性が低いけれども、具体的であり、かつ
それを達成するために何をしなければいけないか、という問いに
ある程度の解が提供されているものなら分かるけど
具体性がないもので、かつ、確率の低い目標を決めろって言うのは
全く納得出来ない」
って言っていてなるほどなぁ。コイツいろいろ考えてんだな
と思うと同時に、結局達成などの閾値の問題なんだろうな、と再認識しました。
その意味では、久しぶりに高校の友人と会えて結構話が合って楽しかった
ってのは宝くじほどのインパクトはありませんが、確かにいいことだし
友人が近々希望していたNYに転勤するというのも
自分のことではないけれど、いいことなんだと思うんですよね。
いやー、書いていて思いましたが、気がつけば
「悪いこと」
ヘの閾値はかなり低くなる一方、その反動で
幸せの閾値が上がってしまっている自分に気づきました。
いや、はてなブログも気づきをくれますね。
と、ほら、雑感書き上がった。ちょっといいこと。
今日もどんよりしてますが、皆様良い1日を!