【人生50年】
- 新村ブログ《油売りのひとりごと》
明日からのGWは本当に休みますよ、僕。
あ...ちょっとは仕事しなきゃいけないですけれど。
さて。
最近、忙しいせいか本当に楽しいことってやってないな。
いや、映画を見に行ったりしてるんで
ゼイタク言うなって話なんですけれど
最近読み始めた黄昏流星群、50前後のオトナが結局恋愛に再び落ちていく話で
話によっては今の奥さんと別れて別の人と...という話は多いのですが
かなり高い確率で出てくるセリフ
「俺はもう人生上がりの時期に来ている 俺の人生はこれでいいのか」
とか
「楽しいって感じ、もう何年も忘れていた」
とか
「あの頃に戻れたなら」
とかいった類いのものが多いんですよね。
ふーん、って思いつつも、冒頭でコメントしたように
自分もそこまで楽しい、と思えることが最近減ってきてるんですよね。
なんでだろうかと考えると、50歳を越えると、余程の贅沢をしなければ
ほぼほぼ一通りやれる事はやってきたし、経験してきたので
目新しいものがないんですよね。
別の言葉を使うと人生100年、なんて言われてますが50歳以降、100歳までの
「見本」になるような充実した生活や
トキメキがある生活に関する情報を提供してくれるものが
それほど無いような気がするのです。
いや、もちろん、カルチャーセンターとか
趣味でこんなことやったらどうですか
といった提案はいくつも出てきますけれど
それをやることで人生にどんなことがあり
考え方が何か変わり、何が自分に充実をもたらしてくれたか
って書かれている本やマンガって
そんなにあるわけじゃ無いような気がするんですよね。
なんでだろう。
と、考えてみると昭和の初期、戦前だと
男女とも45歳ぐらいが寿命だったようです。
で、いつも思うんですが本は「他人の人生を追体験できる」
「自分が得ていない経験を得ることができる」ものですが
当然、古い時代の本に「名作」が多く
更にその多くは、50歳前後で人生が終る形で書かれているため
50歳以降の人生に関して書かれている名作は
論理的に考えて近代に入ってからのものしかないはずなんですよね。
そもそもこの黄昏流星群が書かれたのが1990年代
このときに50歳前後の人達って言うのは1940年代生まれ。
寿命が50歳を超え、70歳代に突入するのが1975年頃ですから
ある意味、この15年の間に書かれたものぐらいしか
50歳以降の人生を追体験できる話はないわけなんですよね。
となると、このマンガは50歳以降の男女に対して
ある意味、人生の充足をもたらす手段(恋愛話だけですが)を
提供してくれているんだと思うんですね。
なので、若い頃読んでいてもなんとも思いませんでしたが
なんとなく感じ入るところがあるんだと思います。
と、今日も仕事が終ったら続きを読もう。
皆様、楽しいGWを!